2017年10月1日日曜日

多数者の『権利』なるものは、強者の権利であって何等の道徳的根拠を有するものではない。

  もとより、時として個人の生活を『社会のために』犠牲にするに躊躇するものではない。けれども、ここで熟考せねばならぬ。このとこは、実に唯だ諸他の個人が彼等の生存を全うし得んがためにのみなされるのであろうか。集団の単なる生存が個人の単なる生存を左右し得る如き道徳的権利は、果して存在するであろうか。もとより自然においては、多数者が少数者を犠牲にして自己を保存しはする。然しもっぱら多数者の『権利』なるものは、強者の権利であって何等の道徳的根拠を有するものではない。逆に我々の道徳的希望が、集団の生存を一個人もしくは少数者の生存のために犠牲に供せられる場合に問題となるところのものは、単なる生存ではなくて生存するものの価値である。個人といえども独立的価値を有し得るのであるから、我々は決して個人を、如何ばかり多数にもせよ諸他の個人の単なる生存のために犠牲にするべきでなかろう。
ヴィルヘルム・ヴィンデルバント『道徳の原理に就て』