2016年6月8日水曜日

平和の訴え

 幾度も失望を味わったあげく、不幸な私は、いったいどこへ向かえばようのでしょうか。考えてみれば、君主たちは物知りというよりも力の人。正しい判断力というよりもむしろ野心によって導かれているのです。
 ですからほんの小指の先ぐらいの事でも、決して意見の一致を見ることがありません。この連中ときたら、まことに取るにたりない問題について、死にもの狂いの激論を繰り返しているのです。激論が白熱して誹謗中傷を変じて殴り合いとなるのですが、さすがに血を洗うまでは至らぬようですね。まさか、あいくちや槍をふるって黒白の決着をつけることはないまでも、毒を塗ったペンを互いに突き刺し合い、荒々しい言葉で議論のやりとりをし、めいめいが論的の面目を葬り去るような毒舌の矢を放ち合っている醜態です。
 なんどとなく、ただの言葉だけをむなしく便りにしては裏切られて棄て去られてきた私はいったいどこに足を向けたらよいのでしょう?

  悪辣極まりないことは、民衆の和合は自分達の権勢を揺るがし、民衆の不和はその権勢を安定させる、と感じている君主たちがいることです。彼らは、虎視たんたんと戦争を企んでいる連中を、極悪非道な手口でそそのかして、平和に結びき合っているものの仲を裂き、そして勝手気ままに掠めとろうとしているのです。平時には国家に対する極悪ひとでなしの偽政者といえましょう。

 戦争が問題となった時には、君主は若者たちを招いて諮問すべすべきではありません。若者たちは戦争がどんなにひどい災禍をもたらすかについて自ら体験がないため、戦争を愉しいものと思いがちですから。それにまた、公共の安寧秩序の混乱によって利益を得、民衆の不幸を食い物にして私腹を肥やす連中も斥けるなければなりません。慎重に偏見に捉われず、しかも確固とした祖国愛をいだいている年をとった人びとを呼んで、その意見を聞くべきでしょう。要するに君主であるほどの者は、あれこれ好戦的や輩の気まぐれにつられて、無謀な戦争を起こしてはなりません。と申しますのも、戦争は一たび始まってしまったならば、容易なことではおいそれと終わらないものだからです。

デンシデリウス・エラスムス