2016年6月28日火曜日

征服者に無数の罪悪

  朝鮮人の暴動(1919(大正8)年に非武装的独立運動が朝鮮全土に拡大した三一独立運動)は、一時形勢すこぶる重大に見えたが、今や幸いにしてほぼ鎮定に帰した。しかしながら問題は今後にある、今後の善後処分にある。
 他民族の統治には、根本においすでに越えれない大溝があるのに、その上に、ややもすれば征服者の罪悪が無数に行われる。言うなれば被征服民族に対する征服民族の略奪である。朝鮮の合併以来幾年にもならない今日、朝鮮の富はすでにほとんど邦人に壟断され、いわゆる有利な事業という事業は挙げて邦人の手中に帰せる有様らしい。
 しかしてもし朝鮮人の中に極めて少数の産を成せるものあるか、そのごく少数の朝鮮人はことごとく邦人と結託し、邦人の手先となって働けるものならぬはないということだ。いう所に誇張もあろう。しかし邦人にこの種の壟断の事実の少なからずあるはいうまでもない。また朝鮮にいる邦人は犬馬を駆使するが如き態度をもって朝鮮人を駆使するとは、よく聞く話である。
 吾輩は邦人は世界においてまれに見る温和の市民なりと思うている。朝鮮人の富の壟断においても、朝鮮人の駆使においても、おそらくさまで酷烈ではなかろうかと思う。しかしながら、征服民族と被征服民族との間には自然に不平等の成り立つは争われない事実である。ただ長いものには巻かれろで、朝鮮人はやむなく屈従を装うも、心の中では、「今にも見よ」と叫びつつ隠忍しつつあるの状、想像して得て余りある。
 これを要するに、朝鮮人の暴動の根底は極めて深固であり、その意義はきわめて重大である。朝鮮人は自治を得るまでは、今回を手始めに機会あるごとに、暴動その他あらゆる方法において、絶えず反抗運動を起こすものと覚悟せねばならぬ。その結果時にあるいは、いかに悲惨なる大犠牲を払うことの起こらぬとも限らない。もし朝鮮人のこの反抗を緩和し、無用の犠牲を回避する道あるとすれば、つまりは朝鮮人を自治の民族たらしむほかにない。
 しかるに朝鮮人の暴動を見て、朝鮮人元気なし、腰抜けなり、いうて、朝鮮人の暴動を軽侮、はた朝鮮人の日本婦人凌辱を、朝鮮人の復讐と解せずして、単なる悪習と見去る如きは、何という無反省のことだろうか。はたまた、朝鮮人の生活(生活の根本義は自治)を奪いいることに気がつかぬか。かくの如き理解の下には、断じてなんら善後策もあり得る訳がない。

石橋 湛山1919(大正)8年5月15日号(東洋経済新報 社説)                     石橋 湛山評論集」