2016年7月3日日曜日

闘争の概念

 行為が、単数あるいは複数の相手の抵抗を排して自分の意志を貫徹しようという意図へ向けられているような社会的関係は、「闘争」と呼ばれる。現実の物理的暴力行為を内容とせぬ闘争手段は「平和的」闘争手段と呼ばれる。平和的闘争が、他の人々も同様に得ようとする利益に対して自己の支配権を確立しようとする平和的形式の努力であれば。これは「競争」と呼ばれる。競争の目的および手段が或る秩序に従っている場合は、「ルールのある競争」と呼ばれる。諸個人や類型の間で生存或いは残存のチャンスをめぐって行われる、闘争的意図という意味を欠いた潜在的な生存競争は「淘汰」と呼ばれる。個人の一生におけるチャンスが問題であれば、「社会的淘汰」と呼ばれ、遺伝的素質の残存のチャンスが問題であれば「生物的淘汰」と呼ばれる。
 相手の生命を狙って、何一つ闘争のルールを守らぬ残虐な闘争があるかと思えば、騎士たちの闘争、交換における利益をめぐって市場の秩序に競争的闘争がある。それらの間には無数の段階がある。暴力的闘争の特有の手段の性質を考え、その使用から生ずる社会学的結果の特殊性から考えれば、暴力的闘争を概念的に区別することは当然のことである。
 すべて類型的かつ大量的に行われている闘争や競争では、いろいろの決定的な偶然とか運命があるにしろ、結局、平均的に見て、闘争の勝利に不可欠な個人的性質を多くもつ人間が選び出される結果に落ち着くものである。その性質は、闘争や競争の条件によって決定される決定される。社会的淘汰は、経験的な意味で闘争の排除排除を阻止し、生物学的淘汰は、原理的な意味で闘争の排除を阻止する。
 社会的淘汰は、諸関係の間の淘汰や闘争というのは、時間の経過に伴って、ある行為が他の行為によって駆逐される。戦争や革命によって国家を、残酷な弾圧によって反乱を、警察によって蓄妾を、法的保護の停止や処罰によって暴力的取引を妨害する。社会的行為の過程と各種条件とから、意外な副次的結果が生まれ、存続や成立のチャンスが減ることもある。これらの原因は多様なので、一つの言葉で表現すると、どうしても、経験的研究の中へ勝手な評価を持ち込む危険が生まれる。理論的に弁明するという危険が生まれる。

マックス・ウェーバー 「社会学の概念」