2016年7月21日木曜日

誤った日清戦争

 誤ったのは、十年の西南戦争と、今度の朝鮮征伐さ。しかし10年の時は、まだ善かった。あれで、かなったと言いものもまだ無かったが、今度は、皆がそう言って来るようだ。どちらも勝ったものだから、実にいけない。もとよりドンと言って明らかな事もなし、づるづるだが、どうせ、これでいいと思う高慢が皆いけないのだ。 政府も人民も悪いんだ。人民がそう政府ばかり頼んで責めると言うが、間違いなのだ。わしはもと西洋人が言った七年一変の説を信じているんだ。1877(明治10)年の西南戦争さ。伊藤さんの朝鮮征伐でも、それはただ伊藤の時の結果に過ぎないのだ。
 こないだも、張などがやって来て、「今度は陸軍省の方で、大層と丁重にしてくれた。」と言って喜ぶ。私はひどく癇癪に障ったから、『なに、馬鹿だな』と言って、怒ってやった。戦争をして勝つと、チヤンチヤンだとか何かとか言って、居たたじゃないか。先生方だってその仲間だろう。世界に輝かすとか、何とか言っただろう。それで、今では支那支那という。そんな事で何があてになるものか。
  朝鮮を独立させると言って、天子から立派なお言葉が出たじゃないか。それで、今じゃ、どうしたんだ。日清戦争の勅文が出て、途中でこれを聞いて、びっくりした。決死の徒が6人来た。もし戦わなければ大臣を刺殺すと迫った。その連中は、今では大変閉口しているよ。伍長以下の連中が段々と上のものを脅迫したのさ。
 維新の大業だって、先ず50年さ。どうして、そのように早くできるものか。憲法などというのは、上の奴の圧制を抑えるのために下から言い出したものさ。それを役人等が自分の都合に真似をした杖事さ。 君らだって親仁の野蛮な血が半分残っている。それからまた半分残る。野蛮と文明の間の子だよ。日本人の嫉妬が強いのは、どうしても国が小さいからさ。それに、どの藩でも、家柄が決まっていて、功を立て立て大に出世するという事は無かった習慣だからね。何でも、誰かが仕たのか分からないようにして、人が言えばどぼけてしまうのさ。
  主義だの、道だの言って、ただそればかりだと、極めることしは極嫌いです。道と言っても大道あり、小道もあり、上に上がありばかり、その一つを取って、他を排除するのはということは不断から決してなしません。人が来て、いろいろとやかましく言うばかりと『そう言うこともあろうかな』と言って置いて、争わない。そして後々でよくよく考えて、色々に比較して見ると、上に上がると思って、まことに愉快です。研究というものは、死んで初めて止むものでそれまでは苦学です。一日でも止めると言うことはありません。

勝海舟「海舟座談」