2016年10月2日日曜日

自由の危機が抑圧と戦争に導く

 自由の第1条件は経済的発展である。自由が危機に瀕するのは1社会の経済が縮小始める時である。経済的発展に失敗した暁にも政府が依然権威を維持しようとすれば、1つは国内抑圧、他は戦争である。

 生活に不足なく、かつ、考える余裕をもつということ、これが自由な人間の根本条件である。財産の所有者たちは、一応ある点までは、社会改良の手段によって資本主義の敵対者を籠絡しようとする。しかし、いったん財産かデモクラシーかの決定点に達すると、已の財産を択んでデモクラシーを破壊するという重大な危険が常に発生する。

 誰でも、欠乏からの自由は望ましいということにかけては原理的に一致している。アメリカ合衆国については望み薄である。というのもその莫大な生産力に拘らず、富の配分の合理的解決に遠い。報酬は個人の労働と節約とに比例する代わりに、むしろほとんど反比例をなす。最も少なく受け取る人こそ最も多く労働し節約する。

 自由とは本質的に拘束の欠如の欠陥である。権力は、自由な活動を埃ってはじめて発揮できる種々の能力の行使を阻害する。自由がその目的へと進み行くためには、平等の存在が大切である。平等とは社会がある人々の幸福の要求に対し、他の人々に対するよりも余計な障害を設けないことである。

 個人に残されたただ一つの道は、市民としての行動の導き手である良心に従うことである。それ以外のやり方は自由を裏切ることに外ならない。抑圧すべきものの選択を委託する人々は、単に、社会福祉に熱心であるでは全く不適当である。知的盲目者が、自分の建てた勝手極まる基準に市民を従わせようとするのである。純潔は、全くひどい無知に過ぎず、よれによって自由は滅殺され、人間の人格は、全く容赦し難いまで拘束される。

ハノルド・J・ラスク「近代国家における自由」