2017年10月4日水曜日

あらゆる義務は法則による強制の概念を含んでいる。

 あらゆる義務は法則による強制の概念を含んでいる。とりわけ倫理的義務は内的立法のみが可能であるような強制を、これに反して法的義務は外的立法もまた可能であるような強制を含んでいる。それ故両者が強制の概念を含んでいる、それが自己強制であろうと、他社による強制であろうと。かく前者の道徳的能力は徳とよばれ、かかる心情(法則に対する尊敬)から発する行為は徳行為(倫理的)と呼ばれ得る、たといその法則が法の義務を告げるにしても、何となれば人間の権利を神聖に保つように命ずるのは特論であるから。        併し徳を行うということは、それがためにまだ直ちに本来の徳の義務なのではない。前者は単に格率の形式にのみかかわることができるのに、後者は格率の実質に、すなわち同時に義務として考えられるところの目的にかかわるのである。ー ところが目的 ー これは数多く存在し得るが ー に対する倫理的責任は広い責任であり、ー 蓋し倫理的責任はその場合単に行為の格率に対する法則のみを含むから ー そして目的は執意の実質(対象)であるから、合法的目的の相異るにつれて相異る諸々の義務が存在するのであり、これらの義務が徳の義務と名づけられる、まさしくかく名づけられるわけはこれらの義務は単に自由な自己強制に属していて、他人の強制には属しておらず、同時に義務であるところの目的を規定するからである。

エマニュエル・カント (特論への緒論) 「道徳哲学」