2016年9月10日土曜日

無知は権門と派閥を尊敬

  住民のあいだにひとりの統治者がいます。聖職者で「太陽」と呼ばれています。この人が、精神面でも世俗面でも全住民の指導者で、あらゆる政務が採取的にはかれによって決定されます。「力」は戦争・和平・軍略をつかさどります。軍事においては最高指導者ですが、「太陽」にまさるものではありません。「武官、戦士、兵士、軍需、築城、攻城を管轄します。「太陽」は「力」とともに、こうしたあらゆる仕事をつかさどります。無知な人たちが権門の生まれだとか強大な派閥によって推されたとかいう理由だけで、かれらを統治の適任者とみなして尊敬しているのです。

 太陽市民は、極度の貧困は人間を堕落させ、卑劣・狡猾・泥棒・詐欺・浮浪・嘘つき・は偽証になり、富もまた、傲慢・うぬぼれ・無知・裏切り・冷酷・知ったかぶりなどの原因になりますが、共和制のもとではすべての人が富者にして貧者となります。あらゆるものを所有しているがゆえに富者であり、物に仕えることに執着せず、あらゆるものを所有しているがゆえに貧者なのです。

 太陽市民は名誉のためにしか争いませんが、そんなかれらのあいだで、侮辱その他の原因から何か争いが起こったとします。怒りにかられて、つい腕力で相手を侮辱してしまったりすると、統治者「太陽」とその役人により、犯罪者としてひそかに処罰されます。くちさきだけの侮辱なら、いずれ戦争の機械を待って決着をつけます。鬱憤晴らしはただ敵だけに向けるべきだというわけです。そして戦場で武勲にまさる者のほうが、名誉の問題においても理があるとみなされ、他方が負けになります。しかし正義の問題にかんしては刑罰が存在します。ただし、決闘は許されません。自分のほうが理があることを示したいなら、国の戦争においてそれを示せというのです。

トラソ・カンパネッラ「太陽の都」