2016年9月5日月曜日

非国民の愛校心

   コペル君の精神的成長に託して語りかける「人生いかに行くべきかと問うとき、常にその問いが社会科学的とは何かをという問題を切り離すことなく問わなければならぬ。」というメッセージであった。  上級生が中心となって、学校の気風をもっと引き上げてゆこうという運動が、おこりました。このままでゆけば学校が創立以来誇りとして来た気風が非常に乏しくなり、やがて亡びてしまうだろう。この連中しきりにこう唱えていました。 「愛校心のない学生は、社会に出ては、愛国心のない国民になるにちがいない。だから、愛校心のない学生はいわば非国民の卵である。われわれは、こういう非国民の卵に制裁を加えねばならない」というのが、その人たちの主張でした。 しかし、これら人々は自分たちの唱えていることが正しいと信じると同時に、自分たちの判断も一々正しいと思いこんでしまっていました。そして、自分たちの気に喰わない人間は、みんな校風にそむいた人間であり、間違った奴らだと、頭からきめてかかるのでした。だが、それよりも大きな誤りは、この人々が、他人の過ちを責めたり、それを制裁する資格が自分にあると、思いあがっていることです。同じ連中にそういう資格はないはずです。


吉野 源三郎「君たちはどう生きるか」