2016年9月28日水曜日

自尊心が宗教に次いで悪徳を押さえる

 このベレンサレムの国ほど貞潔な国、汚職と悪弊を免れている国はないのです。人間世界の中で、この国民の純潔な精神ほど美しく、誉むものはないからです。あなた方は結婚を無用のものとして、不倫な欲望を癒すものてして定められている。ところが卑しい欲望をもっと暗にに癒す薬が手近にあると結婚はお払い箱になります。結婚して繋がれるよりは放縦不純な独身生活を選ぶ人が多くみられ、結婚しても、年をとり青春の活力が失われてから結婚する人が多いのです。求められるのは姻戚関係とか字残金とか名声とかで、子孫を残すことは付けたりの望みです。また勢力を卑しく浪費してしまった者は、貞潔な人々のように、子供を大切にするはずはありません。こういう、放蕩が、どうしても止むを得ざることしてのみ許されるならば、結婚したら止むはずですが、果たして結婚で事態は多いに改善されますか。いや相変わらず放蕩は続き、結婚はないがしろにされます。変化を求める悪しき習性と罪が芸となるの快楽が、結婚を退屈なもの、一種の懲罰か税金のようなものにしている。
 これらの悪習を、自然にもとる情欲のような、より大きな悪徳をさけるためだと弁護されるそうですが、本末転倒の知恵である。いやそればかりでなく、そんなことをしてもほとんど何の益にもならぬ、同じ悪徳と肉欲が跳梁している。背徳の情欲は炉のようなもので、焔を全部消せばいったんは消えるが、排け口を与えればまたもえさかると言うのです。男色については、ここではいったんは消えるが、ここでせはその気配さえありませんが、それでいて。この国でみられるほど信義に厚く、破られることのない友情は、他のどの国にもありません。要するに、この国の人々ほど貞潔な国民は聞いたことがなく、彼らの口癖は、「貞潔でない人は自分を尊敬できない」で、こうも言っています。「自尊心は、宗教に次いで、あらゆる悪徳を押さえる最大の手綱である」

フランシス・ベーコン「ニュー・アトランティス」