2016年9月20日火曜日

感情主義は保守主義を含意

 誰もが自分の推論の能力を過大評価しているといこと自体が、この能力がいかに浅薄なものであるかを示すのに十分である。実際にうぬぼれるのはつねに、姿の美しさとか特殊な技術のうまさなど、無意味な資質の方である。魂の実質的部分をなしているのは本能であり感情である。
 感情主義は保守主義を含意する。そして保守主義はその本質からして、いかなる実践的な原理についても極端にまで推し進めることを拒否する。保守主義者が言いたいのはただ、突発的に損なわれるにまかせたり、あるいは倫理的な規範を急速に変えたりする人は、賢くない人だということである。決定的な重要性をもつ事柄は、感情に、いいかえれば本能に委ねられている。すべての力を発揮する過程で主として頼りにすることができるのは、魂の部分のなかでももっとも深く確実な部分ー本能ーの方である。
 思考における、感情における、行為における一般化、連続的体系の豊かな拡がりこそ人生の真の目的である。人間のすべての知的発展が可能になったのは、あらゆる行動に誤りの可能性があるという事実のためである。「過つは人間の性」こそ、もっとも熟知している心理である。生命の無いものはまったく誤りを犯さない。
 観念は類似性にとくに価値を認め、強調する性質をもっている。ある感覚質が鮮明な意識をもたらされるなら、直ちにいくつかの別の質の鮮明さも増加する。概念は観念ではなく精神の習慣である。一般観念が繰り返し生じ、その有用性が経験されるならば、一個の習慣が形成される。

チャールズ・サンダース・パース「連続性の哲学」