2016年9月18日日曜日

日本軍隊は警察国家日本の産物

 いかなる制度にも長短はある。そして、その制度での人間の優劣賢愚によって、制度は生きもし死にもする。党員のなかにも愚劣な人間がいて、制度の短所を一新に集めているかと思うと、実にほれぼれするような人間的な党員もいる。非党員のなかには、新しい制度に納得がゆかぬながらも、巧みに制度から利己的な甘い知るのも吸おうとする人々もいるし、今更新しい制度に希望は持てないにしても、周囲にいる人間に対する愛情を活かして、下積みの苦しい生活を静かに送っている人々もいる。
 ソヴィエト権力の触手が、蜘蛛の巣のように小さい身体の上に覆いかぶさっている。その権力に対しては、どんな真実も、釈明も役に立たないように思われるし、その権力は個々の人間の生命や、その家族の幸福などは全く無視して顧みないようにさえ思われる。
 あらゆる善意にもとづく努力にもかかわらず、その権力がおそろしく官僚主義的・秘密主義的で、暗くおそろしいものだという印象を拭い去ることができなかった。個々の囚人の切実な訴えに耳を傾ければ、罰日が不明だったり、その処罰が余りにも非人間的だったりする。それは理性を超えた闇の力ーテロリズムではないか。
 日本の軍隊であったなら、軍曹は殴打、重営倉、降等、場合によっては銃殺を以って酬いられることは明らかだ。あらゆる政治組織は、自身の姿に似せて、その軍隊を作り上げる。兵隊が完全に無権利な状態に抑圧された日本の軍隊は、まさに民衆の基本的人権が無視されたいた警察国家日本の産物であった。

 高杉 一郎「極光のかげにーシベリア俘虜記」