2016年9月22日木曜日

人は不実に流れ、国は乱を機ざす

  世の風俗の移り変わる事、雲の起こるが如く、水の流れるが如く、人身の老いゆくが如く、昼夜止まらざるなり。人は不実に流れ、国は乱を機さず。人情一度軽薄に流れなば、再び性善に復しがたく、国家一度乱るるれば、再び収まりがたきし。古来の歴史にも見えし如く、治は保ちがたく、乱は鎮めがたし。すでに中古南北両朝の戦より、国々兵乱打ち続き、干戈止む時なく、世上道理絶え、礼儀廃り、君臣の道を失い、上君徳に背き、下臣道を絶ち、臣として君を失はん事を計り、君または臣を失はん事を思ひ、あまつさえ主君を弑して国郡を押領し、あるいは親子兄弟拒みて領地を争い剣鎗に及び、また同列朋友互いに計りて、権威を逞しくせん事を欲し、あるいは受領口宣なくしてほしいままに国の守を名乗り、さらに官職のためのみなく、尊卑の次第を失い、人心雲水の如く、危々として薄氷を渉り、耕田荒廃し、鰥寡孤独の類のみ多くでき、神仏仏閣破壊し、奸盗殺害、常の業となり、誠に天地の道理を失ひて、二百有余年を経るといへども、なお治むること能わず。時に当たりて城郭を砕き、国郡を犯し奪へる英雄豪傑はあまたありといへども、国を治め果せる人傑もなく、稀有に治め得る主将もその徳薄く、仁政の至らざるにや、永く保つこと能わず。
 しかるにかかる御治世の結構に倦み誇りたるというべきか、実に安逸鼓腹に余りたるか、近来風俗転変し、奢侈超過し、上下その分限の程を失い、花麗日々に増し、月々に盛んになりて、人情うき立ち、根元の信義薄くなり、治世のありがたき御恩沢の程も弁えず、下賤のものまでも気象高ぶり、我儘に構え、得手勝手に身の栄耀を調ふる事のみ欲し、それに随つて内申に私欲の情募り、我より下たる者への権威をふるまひ、上たるには媚び諂い、虚言偽りて人を犯し奪う事を欲し、万事軽薄にのみ走り、表向きは穏和にして、礼儀も厚く見えて内心の実意薄く、忠孝の志もはるかに劣り、慈愛の情も薄くなり、物事すべて義理によらず、また賢愚に拘らず、とかく財利により、貧福を眼目とし、身の奢り飾りの美事なると、また見ぐるしくて、人の勝劣を沙汰する当時の振合ひなる故に、その身高くまた道を正しく守るといへども、貧しきは世に疎まれ、人に遠ざれらるるなり。その身卑しくまた愚かなるとも、財宝を貯えたるは世の上に敬し挙げられ、楽しみを貴人・高位と等しく極るなり。

武陽 隠士「世事見聞録」