底の知られないように、人間の意識は不気味なものだ。それは奇怪なものたちの棲息する世界。その深みに、一体、どのようなものがひそみ隠れているのか、誰にも知らない。そこから突然どんなものが立ち現れてくるのか、誰にも予想できない。
人間の内的深淵に棲む怪物たちは、時としてー大抵は思いかけない時にー妖しい心象を放出する。その性質によって、人間の意識は一時的に天国にもなり、地獄にもなる。だが怪物たちは、普段は表に姿を現さない。ということは、彼らの働く場所が、もともと表層意識ではないということだ。
だから人間の、あるいは自分の、表層意識面だけ見ている人にとっては、それらの怪物は存在しないにひとしい。怪物たちの跳梁しない表層意識こそ、人は正常な心と呼ぶ。平凡な常識的人間の平凡な意識は、まさに平穏無事。もし怪物たちが自由勝手に表層意識に現れてきて、その意識面を満たし支配するに至れば、世人はこれを狂人と呼ぶ。つまりそのような表層意識の現れ方、表層意識としては、異常な事態なのである。
そしてこのことは同時に、彼ら、内的怪物たち、の本来的な場所が、表層意識ではなくて深層意識であることを示唆する。深層意識領域という本来あるべき場所にあって、あるべき形で働く限り、どんなに醜悪妖異なものにも、それぞれの役割があって、そこにあるといことが、時には幽玄な絵画ともなり、感動的な詩歌をも生みもする。汚物を貪り食う餓鬼の類ですら、深層意識的現実の世界秩序の中では然るべき已れの位置をもっている。胎蔵界の外縁、外金剛部院を満たす地獄、餓鬼、畜生、阿修羅などの輪廻の衆生。
こういうものたちが、その本来の場所である深層意識の観念領域を離れて、表層的意識面に出没し、日常世界をうろつき廻るようになる時、はじめてそこに人間にとって深刻な実存的、あるいは精神的問題が起こるのだ。
井筒 俊彦「意識と本質ー精神的東洋を索めて」