2016年9月27日火曜日

日本臣民は分子にして護る徴兵者

伊藤博文が勅令を奉じて起草した大日本帝国憲法の草案と半官的な遂上や説明書である「憲法義解」(1889(明治22)年)。

第二章 臣民権利義務
第二十条 日本臣民は法律の定むる所に従い兵役の義務を有す

日本臣民は、日本帝国成立の分子にして、共に国の生存独立及び光栄を護る物うなり。上古依頼我が臣民は事あるに当てその身家の私を犠牲にし本国を防護するを保って丈夫の事とし、忠義の精神は、栄誉の感情と共に人々祖先依頼の遺伝に根院おし、心肝に浸漸して持ってう一般の風気を結成したり。聖武天皇の詔に曰。「大伴佐伯の宿祝は常も言うごとく、天皇が朝守りつかえ奉る事顧みなき人塔にあれば、汝等の祖ども言ひ来らく、『海行かば、みづく屍、山行かば草むす屍、王のへにこそ死なめ、のどには死なじ』と言ひ来る人等ともなも聞しめす」と。この歌即ち武臣の相伝へて以て忠武の教育をなせる所なり。大実以来軍団の設あり。海内壮兵役に耐ふる者を募る。持統天皇の時毎国正丁四分の一を取れるは即ち徴兵の制の由て始まる所なり。武門執権の際に至て兵農職を分ち、兵武の事を以て一種族の専業とし、万制久しく失ひたりしに、維新の後、明治四年武士の常職を解き、五年古制に基き徴兵の令を履行し、全国男児二十歳に至る者は陸軍海軍の役に充たらしめ、平時毎年の徴員は常備軍の編成に従い、而して十七際より四十歳迄の人員はこと悉く国民軍とし、戦時に当たり臨時招集するの制としたり。此れ徴兵法の現行する所なり。本条は法律の定むる所に依り全国臣民をして兵役に服するの義務を執らしめ、類族門葉に拘らず、又一般に其の志気身体を併せて平生に教育せしめ、一国雄武の風を保持して将来に失墜せしめざることを期すなり。

伊藤 博文「憲法義解」