2016年9月9日金曜日

後世名誉のための万民を使役

 われわれが名をこの世の中に遺したいというのでございます。この一代のわずかなの生涯を終ってそのあとは後世の人にわれわれの名を誉めたってもらいたいという考え、それはなるほどある意味からいいますると私どもにとっては持ってはならない考えであると思います。ちょうどエジプトの昔の王様が已れの名が万世に伝わるようにと思うてピラミッドを作った、すなわち世の中の人に彼は国の王であったということを知らしむるために万民の労力を使役して大きなピラミッドを作ったようなことは、実にキリスト信者としては持つべからざる考えだと思われます。

 それゆえに思想を遺すことは大事業であります。もしわれわれが事業を遺すことができぬならば、思想を遺して将来にいたってわれわれの事業をなすことができると思う。文学はわれわれがこの世に戦争をするときの道具である。今日戦争することはできないから未来において戦争しようというのが文学であります。それゆえに文学者が机の前に立ちますときには、この社会、この国を改良しよう、この世界の敵なる悪魔を平らげようとの目的をもって戦争をするのであります。事業を今日なさんとするのではない。将来未来までにわれわれの戦争を続ける考えから事業を筆と紙とにのこして、そうしてこの世を終わろうというのが文学者の持っている大志で有ります。

 それならば最大の遺産とは何であるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは勇ましい高尚なる生涯であると思います。この世はこれは決して悪魔が支配する世の中にあにずして、神が支配する世の中であることを信じることです。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信じることである。

内村 鑑三「後世への最大遺物」