2016年10月14日金曜日

適口は習慣等から困難

 適口とは食物が口に合うことである。すべては口に合うものが一番美味である。宗の太宗が或る時近臣の蘇易簡に問う「口に合うたものが珍品(適口者珍)でございます。臣は口に合うことが美味なのをつくづくと感じました。」誠にその通りで、何でもかまわぬ、新鮮な物を口に合うようにして食えばよいのである。 昔織田信長の軍に生け捕られた三次家の料理人が、調理して御意に叶わず、もって外の不興を蒙り、御許しを願って更に調進したところが、今度は御口に合って大いに褒美に預かった。それは信長の体質によるものであろうが、主としてその習慣によるもので、つまり味覚の訓練が劣っていたからである。 看来れば、適口ということは質素なようで実は贅沢であり、容易なようで実は困難である。心の持ち方や時と場合によっては何でも口に合い、嗜好の点からすると口に合うものは少ない。嗜好は固より品質の適口にあるが、味の付け方によることも多い。畢竟それは人々の体質や健康状態及び習慣から来るので、千差万別であるが、その中に幾種かの類型が見出されるものらしい。    いわゆる蓼食う虫もすきずきで、何でも自分の口に合うようにして、なるべく味よく食べるのが一楽である。それには自分で味を加減するのが便法で、洋食のように調味料を食卓に備えることは最も合理的で、日本でも是非学ぶべきである。

青木 正児「酒の肴・抱樽酒話」