2016年10月24日月曜日

日本主義は日本的ファシズム

 文献学主義は容易に復古主義へ行くことが出来る。復古主義とは、現実の歴史が前方に向かって展開しているのに、之を観念的に逆転し得たものとして解釈する方法の特殊なもので、古典的範疇を用いることによって、現代社会の現実の姿を歪曲して解釈して見せる手段のことだ。そして忘れてならぬ点は、それが結果において社会の進展の忠実な反映になると自ら称するのが常だということである。
 とかく議論はあるにしても、日本主義は日本型の一種のファシズムである。そうみない限り之を国際的な現象の一環として統一的に理解できないし、また日本主義に如何に多くヨーロッパのファシズム哲学が利用されているかという特殊な事実を説明出来なくなる。色々のニュアンスを持った全体主義的社会理論(ゲマンインシャフト・全体国家・等々)は日本主義者が好んで利用するファシズム哲学のメカニズムなのである。だが日本主義者は外来思想のメカニズムによっては決して辻褄の合った合理化を受け取ることは出来ないだろう。唯一の依り処は、国史というものの、それ自身初めから日本主義的である処の「認識」(?)以外にはあるまい(結論を予め仮定にしておくことは最も具合のいい論だ)。処でそのために必要な哲学方法は、ヨーロッパ的全体主義の範疇論や何かではなくて、正に例の文献学主義以外のものではなかったのである。ー併し実は、この文献主義者自身は、もはや決して日本だけ特有なものではなかい、寧ろドイツの最近の代表的な哲学が露骨な文献学主義者なのだが(M・ハイデッガーの如き)。だから日本主義において残るものはね日本主義的国史だけであって、もはや何等の哲学でもない、という結果なるのだ。

戸坂 潤「日本イデオロギー論」

1945(昭和20)年5月に長野刑務所で酷暑と栄養失調で獄死。