2016年10月30日日曜日

兵は凶器なりとも兵法を講じる

 悪の技術はもはや一つとして、この統一せられた平和の社会に、入用なものはないはずであるが、かつて人間の智功が、敵に対して自ら守るために、これを修練した期間があまりにも久しかった故に、余勢が今日に及んで、なお生活興味の一隅を占めているのである。実際に我々の部落が一つの谷ごとに利害を異にした場合には、譎詐陰謀は常に武器と交互して用いられた。友に向かってこれを試みることは、弓・鉄砲以上に危険であったから、射栫も設けられず、同乗も他流試合も無く、「治に居て乱を忘れず」という格言すら、この方面には封じられていたけれども、如何せん別に何らかのその欠点を補充する教育がなかったから、到底安泰を期せられぬような国情が随分久しい間続いていたのである。『韓非子』とか『戦国策』とかマキャベリとかいう書物ばかりが、その役目を勤めたとも限らなかった。けちな人間同士のけつな争闘には、やはり微細な悪計も、習練しておく必要があった。
 悪は現代に入って更に一段の衰微を重ね、節制もなければ限度も知らず、時代との調和などは夢にも考えたことはなく、毒と血との差別をさえ知らぬ者に、まれには悪事の必要不必要を判別させようとしたのだから、この世の中もべら棒に住みにくくなったわけである。兵は凶器なりと称しつつ兵法を講じた人の態度に習い、或いは改めて伝世の技芸を研究し、悲しむべき混乱と零落を防ぐべきではないか。

柳田 国男「不幸なる芸術 」