2016年10月11日火曜日

勝利者の自由民が敗北者を奴隷に

   元来、日本にはながく一定の地に住んでいるものが、後れてその地に居住するに至ったものに対し幅を利かし、「他人」ないし「来り人」として擯斥する風習は、今もなお地方には牢固として存在する。今日においても生活に影響するほどの強さをもっているかような謬見が、往昔においていかに甚しかったかは想像に余りあるものである。
 生存競争に敗れたものが浮浪していずれかに住処を見出し、ここに居住せんとする時には、専従者の承認を得なければならぬ。またたとえ承認されて居住するに至っても、「来り人」として疎外は免れなかった。浮浪民が法制上において公民と認められなかった時代の落魄者には種々の苦しみがあったであろう。
 敗戦者が落胆して賤民になることは多い。中世以後、戦乱が相次ぐに至って、これらの治乱興亡の裡には、戦敗の結果、惨めな結果に陥るものが多かった。戦国時代に滅亡した武門の後が落ちて特殊部落に入りきたったものも少なくない。いずれの時代においてもいかなる世にても、戦争には必ず一方が勝ち、一方が敗れて、敗者の運命に殺されるか、自殺するか、降伏するか、逃亡するかより途はない。奴隷が降伏して捕虜となったものに始まり、逃亡者の運命も決してよきものではない。その多くは永代の日陰者である。肥後の五箇ノ庄のごとく、敗戦者が一族一群をなして、山間不便の地に移り住んだと伝えられるような型をとることが多い。

高橋 貞樹「被差別部落一千年」