2016年10月3日月曜日

戦争は気味悪く心は弾む

 1872(慶応4)年辰年の5月15日、私の17歳の時、上野の戦争がありました。今から考えてみると、徳川様のあの大身代がゆらぎ出して、とうとう傾いてしまった時であった。
 上野へ彰義隊が立て籠もっていましょう。それが官軍と手合わせをはじめるんだそうで。どうも、そう聞いては安閑とはしていにられないんで、夜夜中だが、こちらにも知らせて上げようと思って、やって来たんです。
 戦争と聞いては何となく気味悪く、また威勢の好いことのようにも思われて心は弾む。上野町の方へ曲がって行こうとすると、其所に異様な風体をした武士の一団を見たのであった。武士たちは袴の股立ちを高く取り、抜き身の槍を立て、畳をガンギに食い違えてに積み、往来を厳重にしているのである。
 ドドーンゝゝという恐ろしい音が上野方で鳴り出しました、それは大砲の音である。ドドン、ドドン、パチパチパチという。陰気な暗い天気にこの不思議な音響が響き渡る。10時頃と思う時分、上野の山の中から真っ黒な火が見えて来ました。彰義隊は苦戦奮闘したけれども、とうとう勝てず、散々に落ちて行き、昼過ぎには戦がやみました。
 その戦後の状態が大変で、死屍が累々としている。二つ三つの無残な死骸を見ると、もう嫌な気がして引っ返しました。その戦後の惨景は目も当てられず、戦いやんで昼過ぎ、騒ぎは一段落付いたようなもの、それから人騒ぎ起こったというのは、跡見物に出掛けた市民で、各自に刺子絆纏などを着込んで押して行き、非常な雑踏。すると人心は恐ろしいもので欲張り出したのであります。

高村 光雲「幕末維新回顧録」