2016年10月15日土曜日

自分の世界の外は野蛮人

 ヨオロッパが漸くヨオロッパになろうとしていた時代にこれを結束させたものがキリスト教徒であるという意識だったことはそうでないもの、したがってヨオロッパの県外にある国々の人間を凡て異端ということで人間以下に見る結果になり、当然ヨオロッパの一部と考えるべき東方のビザンチン帝国も異端の名目の下に敵視されて、ここで指摘したいのは支那の中華の思想と同様に自分と違った人間であることが非羽化の奇人になるしゆるいの独善がその理由はどうだろうと自分ドブンであることを求めた許す上で邪魔になるということである。
 自分たちだけが人間で自分たちの世界の外の住んでいるのが化ものか人間以下の人間であるとみることが自分もどこの人間でもなくし、その人間の観念自体を怪しくするるたしかに十五世紀になってヨオロッパ人は盛んに海外で活動を始め、その結果の接触が世界全体に瓦りはしてもそれが別に彼らの人間観を変えるに至らなかったことはメキシコやペルウのスペイン人による制服にも見られ、相手が異端であっても野蛮人でないことが余りにも明らかである場合はこれキリスト教に改宗させてその魂を救うことが他のことに優先した。それはキリスト教徒であるというヨオロッパ人の自覚を強めるばかりであり、その自覚を前にしてヨオロッパ人であるという意識が生じる余地はなかった。またオランダ人が十七世紀に自分たちの国し布教は行わないという理由で日本の要路に通商を続けることを求めたのは彼らが初めから布教ではなくて通商に関心があったので日本人を人間と認めた訳ではない。

吉田 健一「ヨオロッパの世紀末」