2016年10月27日木曜日

戒厳令下では殺人は無罪

 特に上官が目の前でもう一人は殺してしまった。よくある例だ、もし吾々が厭だといったら、吾々が殺されるかも知れぬ、拒むほどの度胸があれば構わず逃げてしまう。誰が好んで人を殺すものか、厭で厭で仕方ないが自分の命、即座の脅迫が怖くて、悪い事罪な事と知りながら、本心ではなく無理にやらされたのだから無罪である、と判決すればよかったのを、ナマジッカ法律ぶって。バカの人真似、鳥の鵜真似でコンナ事に判決したから、今度は被告両名は、平常ならば常識に訴えてもよいが、厳戒令下では如何なる事でも上官の命には従うと思った。
 厳戒令で七歳の幼児でも何を仕出かすか判らなぬと思う。七歳でも男の子なら時には虐殺して差支えないと思う。現に上官がそう言うた。日本人としても、また兵隊の思想や犯行を取締る選ばれたる憲兵としても、戒厳令下では、人を殺す事や幼児を殺す事位、悪いと思う者はいない、これが憲兵の常識である。故に両名は罪となるべき事実即ち悪い事と思う事実、を知らず。正当当然の事と思うて幼児を殺したから無罪である。
 もし両名が、悪い事だが、上官の命令であって見れば、マサカ法律上罪にはならないと思ってヤッタなら、当然刑法三十八状の第三項目によって有罪であるが、クドクも繰り返す通す通り、両人は人を殺す事、特に小児を殺す事は悪事とは思わず遣り、また両名がコンナ事を悪事と思わなかったということは日本人の道徳として、はたまた憲兵の常識または軍隊の精神として当然で深く信用するに足りるから無罪である、と解釈するの止むなきに至ったのだ。実際執行猶予には誰も異議のなかった、二人だから、どうせ無罪にするなら、後世にも残る事だから、意識の喪失か命令服従の一点張りにすれぎよかったに惜しい事をしてくれた。

山崎 今朝「地震・憲兵・火事・巡査」