2016年10月17日月曜日

兵士は哀れな敗北者

 プレスラウ、1917(大正16)年12月中旬


 わたしはここで胸をさされるような痛々しい経験を味わいました。いつも散歩する広場に、よく行嚢や、血痕がこびりついていることがしばばある古ぼけた兵士の上衣や肌着を満載した軍用馬車がやってきます・・・荷はこり広場で下ろされて、おのおのの監房にふれぶれ分配され。そこで繕われて再び積み込まれて軍隊に届けられるのです。ついこの間も、そういう馬車が一台入ってきましたが、こんどの馬車には馬ではなくて水牛が繋がれていました。この動物は、われわれの国の召す牡牛よりも力強く、身幅が広く、そして頭が平べったくて、折れ曲がっている角み平たいのです。
 かれらは正しく「哀れな哉、敗北者」といことばがよく当てはまるほどにむごたらしくむち打たれたのです。兵士はいやな薄笑いを頬にうかべてながら「おれたち人間さまにだって、だれも可哀そうがってくれ奴なんかいやしねえんだ」と答え、いよいよはげしく打ちつづけたのです・・・水牛は、やっとのことで、どうにか関所を乗り越えることはできたのですが、肌には血がにじみ・・・水牛の皮膚がずたずた引き裂かれてしまった。
 荷降ろしが始まったのですが、その間中、水牛たちはへとへとに疲れ切って、息も絶え絶えにじっとしていました。それはちょうどひどく叱られながら、乱暴な仕打ちを受けないようにするにはどうしたらよいのかわからず、またこのような苦しみや乱暴な仕打ちを受けないようにするにはどうしたらよいのかわからぬ、といった子供の表情にそつくりそのままといってよいものでした。
 こうして、壮絶な戦争なるものの実際のすがたがそっくりそのままのかたちで。私の目の前を通りすぎていったのです。

ローザ・ルクセンブルク「獄中からの手紙」