2017年7月23日日曜日

わが国体の外国と異なる大義を明らかにし、国の人は国のために死し、各藩の人は各藩のために死し、臣は君のために死し、子は父のために死する。

 しかれどもこの論これ国体上より出で来る所なり。漢土にありては君道自ら別なり。たいてい聡明叡知億兆の上に傑出する者その君長となる道とす。ゆえに堯舜はその位を他人に譲り、湯武はその主を放伐すれども聖人に害なしとす。わが邦は上、天朝より下列藩に至るまで、千万世々襲して絶えざること中々漢土に比すべきに非ず。ゆえに漢土の臣はたとえば半季渡りの奴婢のごとし。その主の善悪を選んで伝移することもとよりその所なり。我邦の臣は譜代の臣なれば。主人と死生休戚を同ふし、死に至るといえども主を棄て去る道絶えてなし。ああ我父母は何国の人ぞ、我衣食は何国の物ぞ。書を読、道を知る、また誰が恩ぞ。今少しく主に遇わざるを以て、忽然としてそれを去る、人心において如何ぞや。われ孔孟を起して、この義を論ぜんと欲す。
 聞く、近世海外の諸国、各その賢智を推挙し、その政治を革新し、騒然として、上国を凌駕する勢あり。我何をもってかこれを制せん。他なし、前に論ずる所のわが国体の外国と異なるゆえんの大義を明らかにし、こう国の人はその国のために死し、各藩の人は各藩のために死し、臣は君のために死し、子は父のために死するの志確乎たらば、何ぞ諸変を畏れんや。願わくは諸君とともに従事せん。
吉田 松蔭「講孟余話」