2017年7月15日土曜日

沖縄語の撲滅を計り、標準語一式に改めに対し、無謀に反対して立った。

 沖縄の言語問題に私たちは一番思い出が深いのです。図らずも私たちはこの問題で県庁と対立し、時の知事や警察部長などと激しい論争になりました。ついには、官権が悪用され、私たちを抑圧するという態度に出ました。事の起こりは、県の方針として沖縄語の撲滅を計り、ただ標準語一式に改めようとしたことに対し、私たちはその無謀に反対して立ったのであります。その趣旨は標準語を学ぶべきであるのと同時に、方言の価値を尊重せよということでありました。私どもには常識に近いこの考えを、真向から反対されたので、私たちはそれをよい機会に一つの文化問題として取り上げ、公開状発しました。当時の学校の試験問題に「なぜ方言が悪いのか」という問いが出て、もし悪いと書かなければ落第されてしましいます。小学校の生徒で方言を遣うと、頸から札を掛けられ。いわゆる「札附」にさされる始末でありました。その当時の学務課は随分乱暴な行政を行ったものであります。

水尾 比呂志 編「柳宗悦 民藝紀行」