2017年7月13日木曜日

教えを欲しない者があったら、粗暴な者を君候がその領土から追放するように告発するがよい。

 しかしこの教えを欲しない者があったら、彼らはキリストを否認しキリスト者でないことを明かにし、彼らの聖礼典に陪することを許さず、小児の洗礼に与からしめず、何れのキリスト教的自由をも停止し、むしろ当然に法皇と教会司法官とに委せ、さらに悪魔に付すことも止むを得ない。かつその両親や家長も彼らに飲食を禁じ、かかる粗暴な者を君候がその領土から追放するように告発するがよい。ただし何人にもせよ、これを強制して信仰に来らしめることはできないし又してはならないことであるが、しかし民衆を統制して、彼らの居住し食し生活しようと欲する場所にては正及び不正の何であるかを知らしめるのは緊要なことである。ある町に居住しようとする者は、その公益を享受しようとする限り、その町の法規を知りまた守らなければならない。神よ、かかる人をして信ずる者たらしめ給え、しかし彼らが信者たり得ないなら、せめて内心にてのみ不法邪悪者たるに止まらし給え。
マルティン・ルター、小信仰問答書「信仰要義」