2017年7月12日水曜日

自殺を犯罪と考えているのは、一神教の即ちユダヤ系の宗教の信者達だけである。

 自殺を犯罪と考えているのは、一神教の即ちユダヤ系の宗教の信者達だけである。ところが旧約聖書にも新約聖書にも、自殺に関する何らかの禁令も、否それを決定的に非難するような何らの言葉さえも見出されないのであるから、いよいよもってこれは奇怪である。そこで神学者達は自殺の非認せらるべきゆえんを彼ら自身の哲学的論議の上に基礎づけねばならぬことになるわけであるが、その議論たるや甚だもって怪しげなものなのであるから、彼らは議論に迫力の欠けているところは自殺に対する増悪の表現を強めることによって、即ち自殺を罵倒することによって補おうと努力しているのである。だからして我々は、自殺にまさる卑怯な行為はないとか、自殺は精神錯乱の状態においてのみ可能であるとか、いうような愚にもつかないことをきかされることになる。そうかと思うと、自殺は「不正」である、などという全くのナンセンスな文句まできかされる。一体誰にしても自分自身の身体と生命に関してほど争う余地のない権利をもっているものはこの世にほかに何もないということは明白ではないか。

アルトゥル・ショウペンハウエル、自殺について、「自殺について 他四編」