2017年7月14日金曜日

善及び悪はただ相対的にのみいわれる。

 事物はそれだけを見れば善とも悪ともあわれない。ただ他の事物に関連してのみそういわれる。即ち乙の事物がその愛するものを獲得するのに、甲の事物が益あるいは害になる時、甲の事物は乙の事物にとって善あるいは悪といわれるのである。だから各々の事物が異なった観点において同時に善とも悪ともいわれ得る。
 例えばアキトペルがアブサロムに与えた忠告は聖書では善と呼ばれている。しかし、ダビデにとっては最悪なものであったから。だが、一応善であれながらすべてのものとっては善であるとは限らないような善がほかにも多くある。例えば、救霊は人間とって善ではあるが、救霊などということに全然関係ない動物や食物にとっては善でも悪でもない。
 しかし神は最高の善といわれる。神は万物に役立つから、即ち神はその協力によって各物の存在ー各物にとって何よりも大切なーを維持してくれるからである。これに反して絶対的な悪というものは決して存在しない。これば自明のことである。
バールーフ・デ・スピノザ「デカルトの哲学原理」