2016年8月10日水曜日

自衛権の発動とは何か

 日本の満州経営は一朝一夕の事ではない。満蒙が国防上または経済上我が国にいかなる関係を有するや今更努説するけが野暮だ。我が国はこれがために一度国連を賭してロシアと戦った、その後支那政府の諒解を得ていろいろの権益をこの地方に設定した。しかるに最近彼くに官憲は種々の口実を設けては権益の完成を助ける。甚だしきは既に完成したものを蹂躙する。信義にもとって我が国人の生存発展を阻止するが如き事実は数売るにいとまない。かくして満鉄線路爆破という突発事件に機会を見つけて今次の事変が勃発したのである。 さてそういう意味で起こったとすれば、今次事変の行き着く先はほぼ自ら明白はずだ。この事変を通じて我が国の民国に望むところは最小限において既得権益の尊重でなければならぬ。これは理においても当然であるが、しかし実際の問題になるとしかしくその範囲が明瞭でない。それは第一に既得権の内容について彼我の間に著しい見解の相違があるからである。そこで我が国はややもすると遠い外国からの侵略的なると誤解されるわけであるが、これに対して我が国官憲は断じて侵略の意志なきを中外に声言し頼りに一切の行動は自衛権の発動に外ならない旨を弁解して居る。 満州における軍事行動は、時を経るに従って段々趣を変えて来ているようである。初めはなるほど単なる自衛権の発動であったかも私レない。今日では自衛権の意味をよほど広く取らねば説明のつかぬことが多い。しばらく一変の理屈を弄ぶを許されるなら、一体自衛権の発動として非常行動に出て得るのは、重大なる利害が不当の脅迫にあいその状態のこうむる急な場合に限るのである。普通の個人間にあってはその際相手方を必要以上に追窮するのはそれ自身また一不法行為として難ぜられるが、国際間では必ずしもしからず、禍根を絶つことも場合によっては自衛権の圏内として許され得んも、事実の認定に格別慎重の注意を加うべきは言を待たない。更に進んで自衛権の発動として達せんとする目的のうちに繋争権益の確認とか将来の保障のための新義務の負担とかを含まし得るかというに「戦争」の結果ならばいざ知らず、単純な自衛権の発動の結果としては些か無理だと思う。現に我が国は他日の撤兵交渉において永年我の主張し彼の避妊し来たり諸権益の新たなる確認を要求、排日雑貨の将来における取り締まりにつき厳重なる義務を負担せしめ、更にまた条約一般尊重の再確認を約せしめて、例えば二十一カ条問題のごとき脅迫を理由とする条約の一方的無効宣言を防ごうとして居るとやら。いずけも我が国としては至当必要の要求であるが、しかしこれを自衛権の発動の当然の要求するのはいささか理屈に合わぬと考える。しかして必要当然の要求なら何も自衛権の文字に拘泥するには及ぶまいと考える。

「吉野作造評論集」