2016年8月8日月曜日

出生不平等からの階級差別

国 家

家族の自然的社会は一般的国家的社会に拡大される。国家的社会は自然性に基いて建築された結合であると共に、また自由意志によって結ばれた結合でもあり、法に基づくと共に道徳にも基づくものである。しかし一般的にいえば、国家的社会は本質的には個人から成り立った社会であるというよりは、むしろそれ自身として統一した、個性的な民族精神と見られるものである。
 国家学とは、それ自身において生きた有機的全体である民族がもつところの体制の叙述である。
 国家は一般的なものとして個人に対立する。国家はその一般的なものが理性に一致するだけ、また個人が全体の精神と一つになるだけ、ますます完全になる。国家とその政府に対する市民の本質的な心情は、政府の命令に対する盲目的服従にあるのではなく、また国家の制度や処置に対して各人が唯々として賛意をあらわさなければならないということでもない。ただ国家に対する信頼と賢明な服従にある。
 国家はその体制の契機となす種々の権力を持つ。立法権、司法権、行政権は一般に権力の抽象的な契機である。実在的な権力は全体を構成するところの権力、すなわち裁判権と警察権、財政上と行政上の権力、軍事上と政治上の権力であって、それらの各々の中にはじめていまいう抽象的な契機が現れるのである。しかし、それらのすべての権力行使の最高の中枢は政府である。
 骨格の各種の身分は一般的に具体的な区別であって、それに基づいて個人は階級に分けられる。階級は主として富、関係、教養の不平等に基づく。しかし、これらの不平等はみた一面では出生の不平等に基づく。しかも、この出生の不平等によって個人の国家に対する活動に差別が生じ、ある者は他のものよりもより多く有用だという、有用性の差別が生じる。
 憲法は諸種の国家権力の分立と関係、及び各々の効力関係を確定する。特に国家に対する関係から見た個人の諸々の権力と個人が政府の選挙に当って、のみならず一般的市民である限り持つはずの個人の参与の範囲を決定する。
 慣習、法律、憲法は民族的精神の有機的な内面的な内的生命を構成する。民族精神というものの原理または洋式と規定がその中に現れれている。その他に民族精神は外的な関係と外的な関係と外的な関係と外的な運動を伴う。

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル「哲学入門」