自分の短い一生はもう幕切れに近づいたらしい。戦争に参加してしまえば、もうそれで自分は一生を閉じたのだ。万一にも生きて帰れたら、そしたらそこで新しい一生の一幕が上げられるのだ。そこで新たに設計して新たな生活を築こう。短い一生を回顧して、思い出ずるままに何か書き残して置きたい。それは世紀末のあわただしさ混乱に似たものかもしれぬ。これからあと、四、五十日の余命と思って、最も冷静な態度で永遠の真理を勉学することが念願だ。その余暇に、二十年ちょっとの、我が人生というにも恥しき生涯をふりかえってみたい。
現在の人間の最も願っているものは「平和」である。平和とは何か。真の平和をいうならば武力の戦いが終わっても、資源戦、経済戦など結局人類の滅亡まで、平和は到来しないであろう。最近の書籍にちょいちょい観られるのは戦争の倫理性ということである。戦争の倫理性なんて有り得るものであろうか。人を殺せば当然、死刑になる、それは人を殺したからである。戦争はあきらかに人を殺している。その戦争を倫理上是認するなんて、一体倫理は人を殺すことを是認するのか。大乗の立場、大乗の立場と強調される。大乗の立場から戦争をみるなら何故人を殺さぬでもよいようにしないのか。人を殺している間に、大乗、小乗などの区別はあるものか。すべて悪である。死んだ人間に生を与えるなんて、近代哲学の現実に対するへつらいにすぎない。哲学はあくまでもリードするものであるはずだ。過ぎ去った者に道徳性を与えるなど、文化の恥辱、人間の自己の行為の欺瞞だ。
1943(昭和18)年東京帝国大学経済学部入学、
1945(昭和20)年5月27日 ミャンマー(ビルマ)にて21歳で戦死。
松岡 欣平