2017年4月27日木曜日

免れぬ戦争の追憶は後方に向い反復で前方に向かう

  反復は、ギリシア人が「追憶」といったものをあらわす決定的な言葉だからである。ギリシア人は、あらゆる認識は追憶であると教えたが、同じように新しい哲学は、全人生は反復である、と教えるだろう。反復と追憶とは同一の運動である、ただ方向が反対であるというだけである。つまり追憶されるものはすでにあったものであり、それが後方に向かって反復されるのに、ほんとうの反復は前方に向かって追憶される。だから反復は、それができるなら、ひとを幸福にするか、追憶はひつを不幸にする。むろん人間は生ま出たからには、せめてしばらくなりとゆっくり生きてみるとしたもので、生まれ落ちるとすぐに、例えばなにかを忘れたものをしたというような口実を設けて、人生からそっと引き返したりしないものと前提してのことであるが。
 人生は反復であり、そして反復こそ人生の美しさであることを理解しないものは、手ずから自分に判決をくだしたも同然で、しょせん免れぬ運命、つまり自滅のほかあるまい。思うに、期待はひとをさしまねく果実ではあるが、腹の足しにはならぬ。追憶はまことに心細い扶持で、これまた腹を満たすには足りない。ところが反復は日々のパンである、それは祝福をもって満腹させてくれる。ひとたび人生を周航してみれば、人生が反復であることを理解するたけの勇気をもてるかどうか、また反復を楽しむ気持ちになれるかどうかが明らかになるだろう。生きることをはじめる前に、まず人生の岸辺を周航しなかったものは、決して生きることにはならないだろう。人生を周航してみたがうんざりしたというひとは、虚弱な体質の持ち主だったのだ。反復を選んだものだけがほんとうに生きるのである。
セーレン・キルケゴール「反復」

2017年4月25日火曜日

戦争の苦しみは平時に直ちに忘却して悪意で外国を判断する。

  戦争本能が必要であったし、それは自然的と呼ばれ得るような残忍な戦争を目的として存在していたのであるから、単に武器を錆びさないためにも、多数の偶発的戦争が行われた。さて、戦争が始る際の民族の熱狂を考えてみよ! もちろん、そこには恐怖に対する防衛的反応、勇気の自動的鼓舞がある。しかし、そのにはまた、あたかも平和とは二つの戦争の間の一休止に過ぎないかのように、自分は危険と冒険の生活のために作らていたのだという感情もある。熱狂はやがて静まる、なぜなら苦しみが甚だしいからである。
 戦争の苦しみは平時にあってはどうして直ちに忘れられてしまうのであろうか、というこは知りたい点である。婦人には分娩の苦痛を忘却させるための特別なメカニズムが存しているーすなわち、あまりに完全な追憶は彼女が再度の分娩を欲するのを妨げるであろう。この種の何等かのメカニズムが特に若い民族にあっては戦争の戦慄の場合にも真実に働いているように見える。自然はこうした方面でなお別の種々な予防策を講じた。自然は、われわれと外国人との間に、無知や偏見や憶断で巧みに織りなされた幕を垂れ下げた。一度も訪れたことのない国を認識しないことは何等驚くべきことではない。しかし、その国の認識を持たないでその国を判断し、しかも殆ど常に悪意で判断するということは、說明を要する事実である。
アンリ・ベルグソン「道徳と宗教の二源泉」

2017年4月22日土曜日

善と悪は感じ方及び外的事物が印象づける度合いに依存する。

  われわれに憐憫の情や苦痛の観念を呼び起こす外的な表示の手段のうちで、盲人たちが強い印章をもつのはただ愁訴による場合のみだということから、一般に盲人たちは非人情なものではないかと思うわけなのです。一体、盲人にとって、小便をひっかける人間と、ぐずぐずいわずに潔く血を流す人間との間にどのような違いがあるのでしょう? われわれにしてみても、対象が遠く離れているか、或いは小さいために、視力の喪失が盲人に及ぼすのと同程度の効果を負わされたとしたら、われわれだって同情をもたなくなりはしませんか? それほどさようにわれわれの善はわれわれの感じ方、及び外的事物がわれわれに印象づける度合いに依存するのです! だからこそ、罰さえ怖れなければ、それが燕ほどの大きさに見えない距離で一人の男を殺すことは、多数の人にとっては、彼らの手で一匹の牡牛を絞め殺すよりはるかに楽なのだということを確信するのです。われわれが喘ぎ苦しむ一頭の馬にも憐れみを感じながら、何ら懸念なしに一匹の蟻を踏み殺しえるのは、これと同じ原理に支配されているのではないでしょうか?
  ああ盲人の道徳はわれわれとはなんと異なっていることでしょう? 聾者の道徳が盲人のそれとはまたかけ離れていることでしょうし、われわれより一つ余計に感覚をもつ生物がありとすれば、いかに慾目で見たところで、われわれの道徳を不完全なものだと思うことでしょうね?
ドゥニ・ディドロ「盲人書簡」

2017年4月18日火曜日

兵士は戦闘 では怒りの激情にのみに全てがとらわれる

 「人々は緊張した深い思索に沈っているときは、たとえ光波や音波が肉体的器官にふれても、見ることも聞くこともできない。然り人々はその時は肉体の痛みさえ忘れる。」しかしながら人々は激情におそわれているときもまた肉体の痛みをさえ忘れる。そして人々は感性的直感に夢中になっているときもまた音がきこえない。そしてまた人々は感性的直感に夢中になっているときもまた音が聞こえない。そして人々は、音に聞きほれるか、またはひたすらに緊張して或ることに耳を傾けているときも、物が見えない。それ故にまたわれわれは、妨害されずに聞くために、しばしば眼を閉じるのである。聞くときにはーもちろん興味をもって聞くときにはー人間は全身耳になり、または少なくともそうなろうと欲する。人間はまた見るときには全身眼になり、思索するときにはーすなわちもし彼が全体的な思索家または計算家であり、完全な思索家または計算家であるならばー全身頭になる。
 しかしながら視覚や聴覚について妥当することはその他の感覚や激情についてもまた妥当する。かくして人間は怒りの激情にとらえられている際は傷の痛みを感じない。そしてそれは丁度兵士が戦闘中の真最中に傷の痛みを感じないのと同様である。しかしながらそれは単に、人々は二人の主人に同時に仕えることができないという格言が、道徳においてと同様心理学においても価値をもっているという、単純な理由によってに過ぎない。私は二つの場所に同時にいることができない。それと同様に私は同時に、激情の競技場または眼の激情および脳髄の研究室に現われかつ活動することができない。私がいるところ、そこには私は全身をもって・分割されずに・肉体および頭または心をもっておらねばならない。また私があるところのものであるものは、全身をもってであり・分割されずにであり・肉体および頭まては心をもってなのである。
ルードヴゥ匕・アンドレアス・フォイエルバッハ「唯心論と唯物論」

2017年4月15日土曜日

或る戦争が悪いとは普遍的概念や一般的概念と一致する意味である。

  善及び悪が理性の有に属するかそれとも実的有に属するかということである。しかし、善及び悪は単に関係を表すものにほかならぬから、それが理性の有の中に入れられるべきことは疑いがない。或るものが善いと言われるのは、それほど善くない或る他のもの、或はそれほど我々に有用でない或る他のものに関係してのみ言われるからである。例えば、或る人間が悪いと言われるのは、より善い人間と比較してのみ言われるのであり、或るリンゴが悪いと言われるのも、善い或はより善い他のリンゴと比較してのみ言われるのである。
 すべてこうしたことは、比較してそう呼ばれる他のより善きものが存在しなかったとしたら言われ得なかったであろう。
 従って或る物が善いと言われるのは、それがそうした物について我々の有する普遍的観念や一般的概念と一致すると言う意味にほかならない。
 しかし、我々が前に述べたように、物はその個別性と一致すべきである。個別的観念の対象のみが真の実在性を有するのであるから。そして決して普遍的観念と一致すべきではない。普遍的観念と一致すればそれは全然存在しないものになるであろうから。
 自然の中に存在するすべてのものは事物か作用かである。しかるに善及び悪は事物でも作用でもない。故に善及び悪は自然の中に存在しない。もし善及び悪が事物か作用かだとしたら、それは自らの定義を持たねばならなぬ。しかし、善及び悪は本質を離れて何らの定義されえないからである。
バールーフ・デ・スピノザ「神・人間及び人間の幸福に関する短論文」


2017年4月13日木曜日

死と共に神に属する魂は天に戻り全ての肉体は消滅する。

 わたしは、魂は肉体と同時に滅び、死と共に全てが消滅する、というようなことを最近説き始めた連中には同意しないからな。わしには昔の人々の影響が強いのだ。それは死者にあれほどの聖なる権利を与えた先祖たちとかー死者にはそんなものは無関係だと考えたなら、先祖もきっとそうはしなかっただろうがー、かつてこの地に住み、今はなくなったが当時は栄えていたマグナ・グラエキアの人々に制度や訓言を教えた人々とか、アポローンの神託で最高の賢者と判定された彼の人とかだ。この人は時によってああも言えばこうみ言うことが多かったが、そうはせずに常に同じことを述べたのは、人間の魂は神に属するもので、肉体を離れるや天に戻ることになっている、そして心正しく秀れた人であればあるほど天への帰還は容易である、ということであった。
 秀れた人であればあるほど、死んだ時その魂は容易に、肉体といういわば獄のいましめから飛び去るものであるなら、神々の許に到る道がスキーピオーほど容易であった人が考えられようか。それだから、彼に起こったことを悲しむのは、友人のすることというよりむしろ焼き餅やきのすることではないかと思う。
 他方もし、魂の死と肉体の死は同じもので、後には何の感覚も残らない、というのがより真実に近いなら、死には何の善きこともないのと同様、何ら悪しきことがないのも確かだ。なぜなら、感覚がなくなれば、そもそも生まれなかったのと同じことになるわけだから。実際は、彼が生まれたことを嬉しく思うわれわれがいるし、この国も存在する限り喜びとするであろう。
マルクス・トゥッリウス・キケロー「友情について」

2017年4月11日火曜日

殉教者が不屈であればあるほど迫害者も残虐の度を増す

  サン・パウロの寺のそばから馬車に乗ってローマの郊外をぽかぽかと走らせ、ドミチリアのカタコンベという古い墓を見に行った。この前おおぜいで見たカリストのカタコンベの近くで、地上は牧場になっている丘であるが、地下に狭いトンネルを作って、その左右に墓穴がある。古代のローマの貧民が、地上に墓地が買えないため、地下の穴を墓地にしたのだという。『クォ・ヴィディス』でよく知られているように、初期のキリスト教徒はそこを集会場などに使った。秘密結社の運動に加わることを「地下にもぐる」と言い現すのは、ここから始まったことである。初期キリスト教時代の壁画や石棺類が残っている。

 この前にもちょっと書いたが、地上には平和なのどかな牧場があるのに、そのすぐ下の地画の中にこういう陰惨なものがあるのは、よほど妙な気持ちのものである。ローマ時代の貧富の階級の距たりや、初期キリスト教の殉職的な戦いなどが、いかに深刻なものであったかをつくづく思わせる。日本人などは、未来は知らないが、これまでにこれほど深刻な人間の争いは経験しなかったように思わせる。武家階級ができて以来、ずいぶん戦争は多いが、しかしそれらは、ギリシアの古代のように、何となく競技的性格を持ったものである。

 ただ一つ比較できるのは、キリスタン迫害であろう。ローマではキリスト教徒を数珠つなぎにして猛獣に食わせるというような残虐な迫害をやったというが、日本ではそれほどでなくとも相当残虐な手を使っている。殉教者が不屈であればあるほど迫害者も残虐の度を増すのである。しかし日本では、ローマのように地下にもぐることができなかった。日本の土地は湿気が多くて到底地下の住居を許さないのである。はなはだ比喩的になるが、日本の湿やかさは人間の争いを深刻ならしめない。 

和辻 哲郎「イタリア古寺巡礼」

2017年4月9日日曜日

生活要約の変化が独立性の消失や変異の唯一の原因ではない。

 これまで確実に知られていることは、多くの観賞花卉の花の色は、非常に変わり易い形質であるということに止まっていた。諸種の花卉は、栽培すると、その安定性が高度に乱されることになり、或はそれが全然破られてしまうという意見を発表した人達はしばしばあった。そして栽培植物の発達は、全く規則に当てはまらぬもの、偶然なものであるとするのが、大部分の傾向である。それで不安定的なものの見本として、観賞用花卉のはなの色が、よく引き合いに出されている。しかし、唯単に庭の土に植えるということだけで、如何にして、植物体に、それほど徹底的な、永続的な変革が起こるものであるかということは理解すべくもないのである。
 自然のままに生えている植物の発育が、庭園に植えられたものとは違った法則に支配されるものであるということを真面目に主張する人は、よもやありはすまい。これら両者のいずれにあっても、ある種のために生活要約が変わり、その植物にその新しい要約に応じて応化する性能があれば、必ず一定の変化が起こるはずである。栽培によって、新しい変わりものの発達が助成され、自然の状態にあっては、仮令形成されても、消失してしまうような変化でも、人手の力によれば、保存されることがあるのは勿論認められる。
 しかしながら、庭に植えるということが、変わりものを作る傾向を非常に強くして、それがために、植物の種がすなわちその独立性を失い、その子孫に高度の変更性をもつものが限りなく出て来るという想定は、正しいとするわけにはいかない。もしも生活要約の変わることが変異の唯一の原因であるとすれば、幾百年もの間、ほとんど同一なる要約のもとに育てられて来た栽培植物は、また再びその独立性を回復していると考えるべきである。実際は左様ではないことは、周知の通りであってそれらのうちには、種々様々であるばかりでなく、この上もなく変わりやすいものが見られるのである。
グレゴール・ヨハン・メンデル「雑種植物の研究」

2017年4月8日土曜日

理論的にならないで虚偽を意とせざるがために社会全般に弊害がかもされる

 日本は論理の進まなかった国であり、哲学は独創の体系を作らずして実地に活用することを尊び、すべのものが理論的にならないで運用することに長じたものであって、数学もまたその数に漏れず、理論的に発達したというよりも、芸術化されて問題の処理などが進んだのであるが、武士は算盤を手にすることを恥じたほどで、数学は卑しまれつつ発達したのであった。数学が尊ばれ、数学が重んぜられた、というようなことはほとんどないのである。数学のために多少地位を得た人や、多少待遇を進められた人などが、絶無ではないが、概して数学者は貧苦に甘んじて、世の軽蔑を意とせず、一心にこれが開拓を楽しんだのであった。
 この事情はけだし和算においてだけのことではない。日本ではいったいに知識や学問を楽しむという美風はあるが、これを尊ぶの精神はすこぶる欠如しているのではないかと思われる。明治大正時代になってもその風は決して改まらぬ。これについては特に一遍の文を起草している。
 和算家の間にかくも実際の作者と一致せざるものが多かったのは、明治大正時代に無名の書生の著訳が老大家の名義で出版される風のあったことと同じである。いずれも主として経済上の事情から来ているが、要するに虚偽を意とせざるの風あることをまぬがれぬ。最も論理的でまた最も正直であるべきはずの数学者ですらそうなのだから、他は推して知るべきである。和算家自身すでにあんな虚偽になれているほどで、知識の重んじることを知らないのであって、和算の重んぜられなかったのもままことにやむを得ないのである。日本人のこの性格は淵源するところ深く、近くは文相二枚舌事件の起こったのも偶然ではなく、虚偽を意とせざるがために社会全般にわたって多くの弊害がかもされている。和算家の間にあんな風の行われたのはただその一つの発現であったと見るべきである。
三上 義夫「文化史上より見たる日本の数学」

2017年4月6日木曜日

敵対する異教徒たちを救世主が聖別する

  赦された二人は仲間の所に行って、最高法院の大祭司連や長老たちが言ったことを報告した。聞くと彼等は一せいに、神に向かって声をはりあげて祈った。「主よ、"あなたは、天と地と海とそれらの中の一切の物をお造りになりました。" あなたはわたし達の先祖、あなたの下僕ダビデの口をもって、聖霊により、こう言われました。
 "なにゆえ異教徒たちは騒ぎたち
    民どもは空しいことをたくらむのか。
  地上の王たちは勢ぞろいし
   主権者たちは一緒に集まって
  主とその油注がれた救世主とに反抗する。"
 そして、この予言は成就しました。実際ヘロデ王と総督ポンテオ・ピラトとは"異教人らや"イスラエルの"民ども"と共に、"あなたに油を注がれて救世主として聖別された"あなたの聖なる下僕イエスに敵対してこのエルサレムの都に"集まり"あなたの力強い御心をもって実現しようとあらかじめ定められていたことを、なしとげられたからです。
 だから、今、主よ、彼等理のわたし達に対するおどかしをよく御覧ください。御手をのばして、あなたの聖なる下僕イエスの名のゆえに、癒しや徴や不思議なことを行わせてください。」こう彼らが祈りおわると、たちまち集まっていた所が揺れ、だれもかれも聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語った。
(ペテロ・パウロ)「新約聖書 使徒のはたらき」


  

2017年4月4日火曜日

優秀強力な言語は異なる言語を同化吸収し広範囲に同一言語を普及せしめる

 ある言語が広い地域にわたって話される時には、言語の変化は地方によって独自の過程を取りやすい。特に地方間の交流が少ない場合には個別的変化は著しい。かくして知らず識らずの間に言語の分化が行われる。分化による差が次第に大きくなつて、相互の理解を許さざるに至ると、かつては同一の言語の方言であったものももはや同じ言語とは認められず、かくして生じたおのおのの方言はまったく別個の過程を辿るようになる。
 分化に対してはそれに拮抗する力が働いている。共通の文化、政治的中心、文学等は分化に対して大きな力をもって対抗する。また分化によって生じたすべての方言ががおのおの独立の言語となるものではない。また文化的・政治的に優秀強力な言語は逆に多くの異なる言語を同化吸収して広い範囲に同一の言語を普及せしめる。言語にはかくのごとく常に個別化と平均化の力が拮抗して働いていて、言語の無限の分化を防いでいるのである。
 言語分化の代表的な例の一つは言語の所有者の移動によるものである。民族の移動そのものは言語変化の直接の原因ではないが、隔離せられた同一言語の所有者が異る環境において異る環境において異なる言語変化の過程を辿りやすいことは当然であって、両者の差は次第に大となり、ついに相互間の理解を許さなくなり、異なる言語となる。
 例えば往古において印欧語民族はしばしば大移動を行ったが、これが印欧語族分裂の一つの素因となったことはあらそえない。この民族の原住地がどこにあったのか不明であるが、歴史時代の黎明期、すなわち紀元前1000年の頃には彼らはすでに東はインドから西は欧州の西端にまで拡がり、彼らの間に多くの異民族が存在していた事実は、彼らが有史以前にすでに大移動をなし、広い地域に分散していたことを示している。歴史時代においてもケルト族やゲルマン民族の大移動があり、特にゲルマン民族の移動による分散とそれに伴う言語変化と分化の跡は文献的にも辿ることができる。
高津 春繁「比較言語学入門」

2017年3月30日木曜日

民衆とは選挙を多数者に従って下す判断の結果となる

 何よりも最も大切なことは、我々は牧畜の群れのように、前を進む群のあとを追うべきではないということである。ー 進まなければならぬ途をたどることにはならず、単に皆の行く方向をたどるに過ぎないのだから。ところで、多数者の賛同に迎えられていることを最良のことと考え、流言に賛同することほど、また多くの人々の例にならい、我々が理性に従って生活することなく、人の真似をして生活することほど、我々を大きな禍に巻き込むことはない。
 人が倒れると上から上へとかさなって、それこそ大きな転倒者のやまが出来るのだ。民衆が押し合って、誰かが倒れると必ず他の人をも自分と一緒に引き倒さないではおかず、最初の者は次に続く人々にも破滅を至らすことになる。ーこの人間の甚大な数がうち倒れる時に起こるのと丁度同じことが、人生の至るところに起こるのがみうけられるであろう。一人が誤れば、自分ひとりだけではすまない。他の人を誤らしめる原因ともなり、また誘因者ともなる。即ち、先に進む人々に執着するということは害となるからであり、また誰もかもみな自分の判断を下すことなく、常に盲信するばかりで、手から手に移し渡される誤ちの為に我々は翻弄され、打ち倒されてしまうからである。我々は人真似によって失敗している。ただ人の仲間から離れさえすれば、安全になれる。
 事実、民衆とはおのれ自身の害悪をかばい、理性に反する態度をとるものである。これは選挙の場合におこる。即ち、気紛れなひいき心が動き回って、自分の投票した人物が、法務官に当選したからとて、投票者当人が驚いたりする。同じ物事を我々は是認したり、また非難したりする。多数者に従って下す判断は、すべてかくの如き結果となるものである。
ルキウス・アンナエウス・セネカ「幸福なる生活について」



2017年3月28日火曜日

世界平和は東西両洋の相互敬意に見出す

 世界の平和は東西両洋の相互敬意に見出さねばならない。世界を一色にする事で平和を得ようとしても無理であろう。自然が遠い歴史が違うからである。東を西に化してしまうことで、平和が来るのではない。むしろ東と西に別れていることに特別な意義を見出すべきである。もとより別れるその事が目的ではなく、別れつつも相結ばれるところがなければならぬ。二は一のためだともいえ、一は二あってますます一の意味を深めるといえよう。それ故お互いの尊敬と理解が必要である。またお互いが自らの立場に存在理由を見出さねばならない。
 東西に別れて相争うのも、東西をなくすのも共に自然ではない。一方が一方を征服したりまた従属したりしても、問題の解決はない。やはり東は東のままで、西は西のままで、互いが尊敬し合うという事でなければならない。この尊敬こそ二であって二でないものを生み出すのである。それには東は東としての意義を、西は西のままに西に終わらないものを現すのである。今日の日本のように、過剰な西洋崇拝は、決して日本を幸福なものにしない。まして確実なものにしない。その事はやがて西洋にとっても世界にとっても不幸だといえよう。
柳 宗悦「妙好人論集ー寿岳文章編」

2017年3月26日日曜日

天地を和合させるのも敵を殺戮するのも梵である

 人々が感知する潜在力の中で、あるものはとりわけ重要である。「梵」は、あたかも虎の威力が全身にみなぎり、皮膚・爪にまで及ぶのに似て、ヴェーダ・祭式・バラモンの中に浸透する。梵はすでに最古のテクストの中で、種々の意味をもって登場し、語形を基とした語源論によって様々に解釈される。今日の辞書の中の說明はあまりにも偏り、一方すぎるか、キリスト教風、ヨーロッパ風に潤色されている。「敬虔な心情の吐露としての祈り」でも、その類でも決してない。この語について今日辿ることのできる最も古い意味は、いうまでもなく、ヴェーダの文句・讃頌・祭祀などに内在する力である。また祭祀中に発現する神秘的勢力であり、さらにヴェーダを知って、祭式執行の資格ありとされたバラモンの所有する神秘的勢力あるいは精力、バラモンとバラモン階級全体も表す。
 しかし、この解釈は、なおこの語の意味の多くを闇の中に残している。供養祭で、供祭僧が唱える祭詞・讃頌は梵である。梵は勢力を担った語であり、大詩聖が已が民族を護りうるような恵みの潜在力である。バラモンたちは神々を梵でみなぎらせ、爽快にし、悦ばせ、その力を増強する。また「呪術的」効果を目的とする祭祀で、施行者は梵を駆使し、梵によって悪人どもを撃滅する。バラモンは、自分たちの本性として、幾世紀にもわたり、自己の優勢を負うこの不思議な実在力=梵によって行動したのである。神々もまた、祭式の場としてふさわしい宇宙で梵を駆使する。インドラは梵によって再び勇気を取り戻し、別の神は梵によって魔神を切り裂く。また、ある神は梵を駆使して天地を和合させる。鏃を鋭くし勝利に導くのも、霊感と情熱を与えて生の力を増大させるのも、敵を殺戮するのも梵である。梵により、雲に隠れた太陽も見つけ出せる。梵は神々の所与であり、また神々の所造ともいわれる。
ジャン・ゴンダ「インド思想史」

2017年3月25日土曜日

戦争による死の威嚇は未来の関心を突然に失い過去を放棄する

  仮説ではありません。例外的な場合には注意が生活に対して持っていた関心を突然放棄する場合がある。そうするとたちまち魔法にかかったように過去がまた現在になる。不意に眼の前に差し迫った死の威嚇が現れて来た人々は、崖から下へ滑る登山家や水に溺れるものや首を吊ったものには、注意の急激な転換が生じることがあるようです。ー それまで未来に向けられて行動の必要に奪われていた意識の方向が変わったために、突然それらに対し関心を失うようなことが起こるようです。それだけでも十分に『忘れていた』何千という細かい事が記憶に蘇り、その人の歴史全体が眼の前に動くパノラマとなって展開するのです。
 そこで記憶は説明する必要はありません。というよりも、過去を保持してそれを現在の中に注ぎ込むことを役目とする特別な能力というものはありません。過去はひとりで、自発的に保存される。もちろん、我々が変化の不可分という、我々の最も遠い過去が我々の現在に密着していてそれと共に唯一つの同じ遮られない変化を構成するという事実に眼を閉じれば、過去は正常的には廃棄されたもので、過去の保存は何か非凡のことのように思われ、我々はそこでどうしても、後で意識に再び現れて来ることのある過去の諸部分の記録を役目とする装置を考えなければならないと信じる。しかし、我々が内生活の連続、したがってその不可分を考慮に入れれれば、説明を要するのは過去の保存ではなく、却ってその見かけの上の廃棄だということになる。我々は想起ではなく忘却を説明しなければならなくなる。
アンリ・ベルグソン「哲学入門ー変化の知覚」

2017年3月22日水曜日

戦争の監獄で生気を失い堕落に満ちて監房で息をひきとる

 監獄のなかには、収監されている人びとを見れば、その管理になんらかの誤りがあるに違いないとも誰もが確信するようなところがある。囚人の士気の痩せこけた顔つきが、ひどく惨めな境遇を無言のうちに物語るからである。入ってきたときには健康であった者の多くが、数カ月もたてば痩せ細り、生気を失った人間に変わり果ててしまう。ある者は病気になって ー すなわち「病気なのに監獄入り」という状態になって衰弱し、またある者は伝染病の熱病や天然痘に罹り、よどんだ空気のこもる監房の床で息をひきとる。これらの犠牲者が生じるのは、執政官や治安判事たちが残酷であるが故とまでは言わないにしろ、少なくとも彼らの職務怠慢に起因するものだとは言えるだろう。
 このような惨状の原因は、監獄で物資の供給か乏しく、人間が生存するための最小限度の衣食にさえこと欠くところが少なくない、というところにある。
 懲治院の囚人が強制労働を科されているのは周知の事実である。ならば、囚人たちの労働で食い扶持を賄うことはできないのか。そう問われるむきもあるかもしれないが、現実は信じがたい有様なのだ。何らかの作業を行っている、あるいは行える状態にある懲治院などはほとんど存在しない。なぜなら、囚人たちは作業のための道具も、いかなる種類の材料を持たないからである。怠惰と瀆神と堕落のなかで、彼らはいたずらに時間をすごしている。それがきわめて衝撃的な状況にまでいたっている施設も、現にわたしは目撃してきた。
 ある著書から「ここにあげた悲惨さは、監獄のなかで経験することのできる諸害悪の半分にも及ばない。監獄は、貧困と悪徳が生み出しうる種類の堕落に満ちている。すなわち、ひどい無分別がまねく恥知らずで放埒な大罪の数々、飢えへの怒り、そして絶望にみちた怨嗟といったものがある。監獄の中では、人目もないだけに、法の力も及ばない。怖れもなければ、恥じらいもない。淫らな者たちが、より慎み深い者たちの欲望に火をつける。豪胆な者たちが、臆病者たちを鍛えあげる。誰もが心の底に残った分別に逆らうことができるよう、自らを鼓舞し励ます。自分がされることを他人にもしようとし、最も悪い手合いの仲間たちから、彼らのやり方を真似ることで喝采を浴びるのである。」

ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」

2017年3月20日月曜日

救い難き底知れなさの戦争に衝撃と気力の喪失

 時代が大きく膨れ上がったときに垣間見せる救い難き底知れなさに衝撃した人間のこころ暗さ! それに抵抗したりそれを弾劾したりする気力も挫けてしまう。私はますます自分が犬儒的にんなり、つむじが曲がってゆくのりをどうすることもできない。同じく心を動かされていても、人々と私とでは精神的風土がまるで違うのだ。人なかにいると、私はふと自分が間諜のような気がして来て、居たたまれなくなって席を立ちたくなることがある。何の共感もない。全く人とは別のことを感じ、また考えているのだから。

 こうして私は時代に対して完全に真正面からの関心を喪失してしまった。私には、時代に対する発言の大部分が、正直なところ空語、空語! としてしか感受できないのである。私はたいがいの言葉が、それが美しく立派であればあるほど、信じられなくなっている。余りに見え透いているのだ。私はそんなものこそ有害無益な「造言蜚語」だと、心の底では確信している。救いは絶対にそんな美辞麗句からは来ないと断言してよい。

 流れに抗して、溺れ死することに覚悟をひそかにきめているのである。私は欺かれたくない。また欺きたくもない。韜晦してみたところで、心を同じうする友のすがたさえもはや見別けがつかない今となっては、どうしようもない。選良も信じなければ、多数者も信じない。みんなどうかしているのだ。(あるいはこちらがどうかしているのかも知れない。)こんなに頼りにならぬ人間ばかりだとは思っていなかった。私の方が正しいとか節操があるのでは断じてない。ありのままの人間とは、だいたいそんなものかも知れないと思わぬでもない。それを愛することがどうしてもできないのだ。それと一緒になることがどうしてもできないのだ。偏狭なこの心持がますます険しくなってゆくのを、ただ手をこまねいて眺めているばかりである。

林達夫「歴史の暮方ー時代と文学・哲学 (1940-42年執筆・1946年刊行)

『林達夫評論集』」

   

2017年3月18日土曜日

戦争の歴史叙述は敵対国民が敵の上に増悪の焔を投げつける愛国的歴史

 想定を変えることなしに如何にして文献的歴史の冷めたい無関心と内的な不確実さとは救済され得るのであるか、という問題に移る。そしてこの問題はそれ自身が偽りであるが故に、ただ偽れる解決が与えられるだけである。そしてこの解決とは、思想の関心の欠陥をば感情のそれをもって代え、ここに達することのできない叙述の論理的連関の欠陥をば感情のそれをもって代え、ここに達することのできない叙述の論理的連関の欠陥をば審美的連関をもって補おうとすることである。この道によって得られる新たな誤れる歴史形式がすなわち詩的歴史である。
 この種の歴史叙述の多くの実例は、敬愛された人物についての感激にみちた伝記、増悪された人物についての風刺に埋まった伝記、などにおいて見られる。その他、著者自身の属しまたは同情を寄せる国民の成功を賛美し、その失敗を嘆惜し、その敵対国民、かれ自身の敵の上に増悪の焔を投げつける愛国的歴史、自由主義または人道主義の理想をもって飾られた世界史、あるいはまた、一社会主義が(マルクスの言葉でしたがうならば) 「悲しき姿の騎士」の、いいかえれば資本家の雄業を描きつつ編述した世界史、さらにおよそ人間の不幸と罪悪のとの間にユダヤ人を見、人間の幸福と光栄とのあるところには必ずユダヤ人の追放を見いだす反セミ種族論者の世界史、これらはいずれもこの例である。
 もとより詩的歴史はこの愛と憎と(愛である憎の、また憎である愛の)というこの根本的なまた一般的な二音調に盡きるわけではない。それは最も複雑した形式と最も繊細な感情の差等のすべてを貫き移る。かくして、愛にみち、また憂鬱にふけり、憧れにみち、悲しみ嘆き、諦めの眼を閉じ、信頼にみち、喜ばしげな、その他およそ想像することのできるすべての種族の詩的歴史をわれわれをもつ。
ベネデト・クロォチェ「歴史の理論と歴史」


2017年3月16日木曜日

精神的な共同が貶められて使役され陰惨な奴隷となる戦争の境遇

 よりよい世界に属するものが陰惨な奴隷の境遇に歎息している。精神的な共同のために存するものが貶められて、地上の共同のために使役されている。地上の共同のために有益なものは、精神にとっては制限を加えるものであり、内的生活にとっては危害を与えるものである。もし友人が盟約の手を差し伸べたならば、各人ず別々にやる場合よりもいっそう大きな仕事がそこから生じるはずである。各人はそれぞれ他人を自由にその精神の赴くがままに振る舞わしめ、また自分の思想を他人と擦り替えたりはしないで、他人に欠けているものがあればそれを補ってやるべきである。そうすれば、各人は他人のうちに生命と滋養とを見いだし、各人はそれぞれ自己のなりうるものになりおおせるであろう。
 ところが、世間では反対にどういう風にやっているか。人は地上の仕事のために他人の指図を待ち、自分の幸福を犠牲にすることを厭わない。識見と世故とを頒ち与え、優しく苦痛を共にしてそれを和らげてやるのが最上のことである。それにしても、友情のうちには常に相手の内的本質に対する敵意が潜んでいる。彼らは友人の欠点をその本質から取り除こうとする。そして自分たちにおいて欠点であるものは、その友人においてもまた欠点であると思っている。このようにして、各人は他人のために自分の特性を捧げなければならず、その挙句は互いに等しくない両者が互いに似寄ったものになる。もっともこれは、頑固な意志が破滅を抑止して、にせ物の友情が不和と和合との間に長く患うとか、または突然に破綻するとかいうことがない場合のことである。
 軟弱な心情の所有者にとっては、友情に附きまとわれるというのは破滅である! 気の毒な人は新しく力強い生活を夢見る。彼は甘い伝達のうちに過ぎ去っていく美しい時の数々を楽しんでいる。そして、空想せられた安逸のうちでどのように精神が自らを費いはたし罪を負うて、ついにはその内的生命があらゆる方面から不具にせられ圧迫せられ、失われていくのに気がつかない。このよにして、よりよき人たちの多くは、自分の本質の大略をもまだほとんど知らないうちに、友人の手によって刈り込まれ、わがものならぬ附加物に附きまとわれつつ徘徊するのである。
フリードリヒ・シュライエルマッハー「独白」

2017年3月13日月曜日

戦争と平和の歴史はそれをいだいている観念と最も密接に関連して物語る

 歴史は如何なる対象についてであれ、偏見なく、特殊な興味や特殊な目的を持ち込むことをせずに、事実を物語るべきだとせられるが、この要求は正当と見られねばならない。ところが我々は、このような定まり文句でもって、どこまでも押し通すわけにはいかない。というのは、或る対象の歴史は人々がその対象についていだいている観念と最も密接に関連するものだからである。即ち、その観念に従って、その対象にとって何が重要であり、何が合目的と考えられるかは、すでに定まっている。従って出来事のその目的に対する関係が、物語られる事件の選択、事件の捉え方、事件を見る観点を定めるのである。それ故に人々がもつ国家とは何かというそれぞれの観念から見るとき、或る国の政治史の読者は自分の求める何ものをもその中に見出さないということもありうる。しかも、このことは哲学史に一層ありうることである。即ち哲学史の叙述は、他のものはすべてその中に見出されると考えられるのに、我々が哲学と考えているものだけはないということを実証するものとも言うことができるかもしれない。
 他の歴史にあっては、その対象についての概念は、少なくともその主要規定から言って、ーその対象が特定の国であれ、或いは人類一般であれ、或いは数学、物理学などの科学であれ、また芸術、絵画などであれー明瞭である。ところが哲学なる学問においては、その概念に関して、即ちそれが何をなすべきか、また何をなしうるかに関して真先に見解が区々に分かれる。この点で哲学は他の諸科学に比べて異なるもの、いわば短所をもつ。この第一の前提、即ち歴史の対象についての観念が確定したものでないとすれば、必然的に歴史そのものまた一般に動揺するものとならざるをえないであろう。従って、それが特定の観念を前提する場合のみ、ともかくも安定したものとなるではあろう。しかし、その場合には、その対象のいろいろ異なった観念がある以上、当然に一面性という非難は免れえないはずである。
ゲオルク・ヴィルヘルム・ヘーゲル「哲学史序論ー哲学と哲学史」

2017年3月11日土曜日

異心有りて諸侯四方に割拠し内乱し各権を争わん、天下の勢は必ず弊せん

 啓幹(新島 襄)慎んで書を呈す。この頃四方の風談を聞くに、天下大乱有らんことを恐る。この頃亜夷(アメリカ)しばしば来たりて交易を請うも、天下の評議、粉々としてさらに決せず。
 今ここに二人有らんか、一人は曰く「交易は四海を一にし、人民を安ずるならん」と。また一人は曰く「亜夷は地広く、日本は地狭し。狭土の物をもって広土の物を易うれば、往々にして狭土の物は尽きん。かくのごとくんば日本の利物は少なくして、彼の鈍物日本に満ちん。利物少なくして鈍物多ければ、天下は共に乏し。今もし日本彼の物を取り、日本の物与えんか、所謂芳香な薬を棄ててふんころがしを取るがこどきなり。今誤って交易をなさば、彼れ尽く日本の利物を取り、日本をして彼の純物を満たしめん。もしかのごとくんば、すなわち諸侯は参内するために羅紗を衣んか、酒店は酒に入るるに金剛砂を用いんか。ああ、かくのごとくんば何ぞ夷狄と異ならんや。これ匹夫といえども歯切すべき事なり。今早くなさざるのところ、後に臍を噛むを恐る」と。
 これこの二人異心有り、況んや幾万人においてをや。ゆえに内乱有らんことを恐る。もし諸侯四方に割拠して各権を争わんか、天下の勢必ず弊せん。亜夷必ずやまさに諸種攻め来らん。
 かくのごとくんば僕、書を学ぶことを能わず。しかれども今幸いにして乱未だ起こらず。今にして学ばずんば時を失わんことを恐る。ゆえに儒家に託して書を学ばんことを欲す。しかれども未だ俸を受けず。無俸にして儒家に託すること能わず。ゆえに迷惑なすところを知らざるも、願わくば君、幹が父に手書を贈り、幹をして書を学ばしめよ。その詞願はこの書のごとし。「この頃亜夷しばしば来たりて交易を請う。日本の騒動紛然として、まさに乱有らんとす。もし乱に及べば、敬幹は書を学ぶことを能わず。今にして学ばずんば時を失わんことを恐る。宜しく敬幹をして入塾し、朧目を開かしめよ」と。これ僕の赤心をもって願うところなり。
1858年8月上旬           敬幹(新島 襄) 再拝再拝
新島 襄「尾崎 直紀宛 『新島 襄の手紙』

2017年3月10日金曜日

知的偏愛を抱く生存の苛酷なもの・戦慄的なもの・邪悪なもの・問題的なもの

 生存の価値についての大きな疑問符がどこにつけられていたか、見当がつくだろう。ペシミズムといえば、これはかならず下降の徴候ときまっているだろうか? ペシミズムはいやでも頽廃と出来損いのしるし、疲れはてて弱体化した本能のしるしときめてかからねばならぬだろうか? われわれ「近代」人、ヨーロッパ人の場合もおそらくはそうなのだが。強さのペシミズムというものがあるのではないか?
 生存の苛酷なもの・戦慄的なもの・邪悪なもの・問題的なものに知的偏愛をいだくということが幸福やあふれるばかりの健康、生存の充実からくる場合があるのではないか? 過剰そのものに悩むということが、ひょっとしたらあるのではなかろうか? きわめてするどい眼差しが、自分から恐ろしいものを求めるといった、当って砕けろ式な勇敢さをそなえている場合が、ひょっとしたらあるのではなかろうか?
 それは自分から敵を求めるのと同じではないか? 自分の力をためすことのできるような互角の敵、その相手によって「恐れる」とはどういうことかなのか、学び知ろうとするような勇敢さがあるのではなかろうか? ほかでもない一番いい時代のギリシア人、最も強く、最も勇敢だった時代のギリシア人において、悲劇的神話の意味するところは何であるのか? それから、ディオニュソス的なものという怪異な現象は何を意味するのか? ディオニュソス的なものから生まれた悲劇の意味するところは何か?
 さらにまた、悲劇のいのち取りとなったもの、道徳のソクラテス主義、理論的人間の弁証法と満足と明朗さは何を意味するのか? ほかならぬ、このソクラテス主義こそ、下降・疲労・疾患の徴候、無秩序に解体してゆく本能のしるしでありうるのではないか? また、後期ギリシア精神のいわゆる「ギリシア的明朗さ」は、ただ夕焼けにすぎないのではないか?

フリードリヒ・ニーチェ「悲劇の誕生」

2017年3月9日木曜日

戦争とは自ら択ぶ罪悪と死の普遍的必然性

  普遍的意思と人間のうちの特殊意志との結合は、既にそれ自体において一つの矛盾であり、その矛盾を合一することは不可能でないまでも困難であるように思われる。生そのものの不安が人間を駆って、彼がそのうちへ創り出されたその中心を去らしめる。なんとなれば、すべての意志の最も純粋な本質であるこの中心は、あらゆる特殊的意志にとっては、焼き滅ぼそうとする火である。そのうちに生き得るためには、人間はすべて我性に死なねばならぬ。であるから、この中心から周辺へ歩み出で、かくしてそこに自己の我性の安らいを求めようとすることは必然的な企てである。ここからして罪悪と死との普遍的必然性も出ていた。その際、死とは浄化されるためにすべての人間的意志が通らねばならぬ火としての、我性の実際の死滅なのである。しかもかかる普遍的必然性にもかかわらず、悪はあくまでも人間みずからが進んで択ぶものである。根底が悪そのものに成ることはできない。各々の被造物は彼みずからの咎によって堕落するのである。しかし、しからばいかにして個々の人間のうちで悪または善への決定が行われるか。このことは全く不明のうちに包まれており、そして一つの特別な研究を要求するように思われる。
フリードリヒ・シェリング「人間的自由の本質」

2017年3月6日月曜日

戦争の結果として社会の道徳的・知識的水準をいちじるしく低めずにはおれなかった。

 ニコライ一世治世の初頭は1825年12月24日の破局によって有名である(デカブリストの乱の鎮圧: 青年将校による皇帝の専制への反乱の鎮圧)。そしてこのことは、わが「社会」の将来の発展行程にたいしてと同様に、プーシキン(ロシアの国民的文学者)の個人的運命にも大きな影響をもたらした。「デカブリスト」の敗北とともに、当時の「社会」におけるもっとも教養のある前衛的代表者が舞台を去っていった。それはその結果として社会の道徳的・知識的水準をいちじるしく低めずにはおかなかった。「私はひじょうに若かったにもかかわらず」とゲルチェンは書いている。「しかも私はニコライ治世とともに上層階級がいかにいちじるしく頽廃し、腐敗し、盲従的になったかをおぼえている。アレクサンドル時代における貴族的独立、近衛隊的剛毅は、1826年とともに跡形もなく消え去ってしました。」敏感で賢明な人にとってはこのような社会に生活することが苦しかった。「周囲は藪、沈黙」そのおなじゲルチェン(ロシアの哲学者)が他の論文のなかに書いている。「すべては答えなく、人気なく、希望なく、その上極端ににぶく、おろかしく、小さかった。同志をもとめる視線は、従僕の威嚇でなければ驚愕によって迎えられ、人びとは彼から身をそむけるか、彼をはずかしめた。」詩『賤民』および『詩人に』を書いた時代のプーシキンの手紙のなかには、わが国の二つの首都の倦怠と卑俗さにたいする不平がたえず聞かれる。しかし、彼はたんに彼を取りまく社会の卑俗さになやんでいただけではない。「支配層」に対する彼の関係もまた、彼の血を毒することひじょうに大きかった。

 わが国には、1926年ニコライ一世が、ありがたくもプーシキンの政治上の「若気の過失」を「ゆるしたまい」、その寛大な保護者にさえなったという、実に感動すべき伝説がひろまっている。しかし事実はぜんぜんそうではなかった。ニコライ一世とこの種の仕事における彼の右腕であった憲兵隊長ア・ハ・ベンケンドルフは、なにもプーシキンを「ゆるし」たのではなく、またその「保護」というのは、彼にとって耐え難い屈辱の連続にほかならなかった。「プーシキンは私と会いました後、イギリス・クラブで、陛下について喜びをもって語り、彼と一緒に食事をしていたものに、陛下のご健康のため乾杯すべく強制しました。ともかく彼はほんとうの阿呆者ですが、彼の筆と言葉とをみちびくことに成功しますれば、それは利益でございます。」この最後の言葉はわれわれの前に、プーシキンになされた「保護」の秘密をひらいてみせる。ゲオルギー・プレハーノフ「芸術と社会」

2017年3月4日土曜日

自らの愚行の報いを生命を以てつぐなった戦争の例ははなはだ多い

 世間の人々の追求しているすべてのものは、単に我々の生存の維持にたいして何らの対薬をもたないばかりか、かえってその害になっている。すなわちそれらのものは、これを所有している人々にとってはしばしば滅亡の原因となり、逆にそれに所有されている(とりつかれている)人々にとっては常に滅亡の原因となっているのである。
 実際、その富の故に、死ぬほどの迫害を受けた人々の例や、財を手に入れるために、数々の危険に身をさらして、ついに自らの愚行の報いを生命を以てつぐなった人々の例ははなはだ多い。また名誉を獲得あるいは維持するために、悲惨な苦しみをこうむった人々の例もこれに劣らない。最後に、過度の快楽のために自らの死を早めた人々の例は数限りがない。
 ところでこうしたわざさわいは、私には、次の事実から、すなわち、すべての幸福あるいは不幸はただ我々の愛着する対象の性質にのみ依存するという事実から生じるように思われた。全くのところ、愛さないもののためには決して争いも起こらないであろう。それが滅びたからとて悲しみもわくまいし、他人に所有されたからといって嫉妬も起こるまいし、何らの恐れ、何らの憎しみ、一言でいえば何らかの心の動揺も生じないであろう。実にこれらすべてのことは、我々がこれまで語ってきた一切のもののような、滅ぶべき事物を愛するときに起こるのである。
 しかるに永遠無限なるものに対する愛は、純な喜びをもって精神をはぐくむ、そしてそれはあらゆる悲しみから離絶している。これこそ極めて望ましいものであり、且つすべての力をあげて求むべきものである。しかし私が、ただ真剣に思量し得る限りという言葉を用いたのは理由のないことではなかった。なぜなら、以上のことを精神でははなはだ明瞭に知覚しながらも、私はしかしだからといって所有欲・官能欲および名誉欲から全く抜け切るというわけにはゆかなかったからである。

バールーフ・デ・スピノザ「知性改善論」

2017年3月1日水曜日

顔を見せず、よく妖をもって大衆を惑わし、歴年に互いに攻伐する

 倭は韓の東南大海の中にあり、山島によって居をなしている。およそ百余国ある。武帝が韓を滅ぼしてから、使節の漢に通じるものは三十ばかりの国である。
 国は、みな王を称し、世々、統を伝える。その大倭王は邪馬台国におる。楽浪郡の境は、この国を去ること一万二千里、その西北の拘邪韓国を去ること七千余里。その地は、おおむね会稽の福建の東にあり、朱崖・たん耳とたがいに近い。故にその法俗は多く同じである。
 人が死ぬと、喪に復するのを停めて仕事に従うこと十余日、家人は泣き叫び、酒食を進めない。そして親類・友人・縁者たちは、喪にことよせて歌舞し楽をなす。骨を灼いてトし、それで吉凶を決める。行来・渡海には、一人をして髪をくしけずったり沐浴したりせず、肉を食べず、婦人を近づけないようにし、名づけて持衰という。もし旅行中の道中が吉利ならば、そのときは財物を雇するが、もし疾病や害に遭えば、持衰を謹しまなかったとして共にこれを殺す。
 桓・霊の間、倭国が大いに乱れ、かわるがわる互いに攻伐し、歴年、主がいなかった。一女子がおり、名を卑弥呼といった。年が長じても嫁にゆかず、鬼神の道につかえ、よく妖をもって大衆を惑わした。そこで共に立てて王とした。侍婢は千人。顔を見るような者も少ない。ただ、男一人がおり、飲食を給し、辞語を伝え、居処・宮室・楼閣・城柵など、みな兵器をもって守護し、法俗は厳峻である。
「後漢書倭伝」
『魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝、隋書倭国伝』

2017年2月27日月曜日

戦争と平和は絶えず刺激なければ心と記憶は薄れてしまう

 卓越した能力をみった人びとの立派な行いが妬みによって傷つけられないように、また、不滅の価値をもったその名が忘却にさらされないように、努めている人びとがいます。かれらの企ては、ひとなみすぐれた、教養高きひとにふさわしいものです。卓越した人びとのイメージを後世に伝えるものに、大理石に刻んだり青銅で鋳造したりした小像があります。足を踏まえて立ち、あるいは、馬にまたがった鋳像があります。ある詩人がうたっているように、星にもとどかんばかりの巨額の富を投じた石柱やピラミッドがあります。最後に、後世の人びとが永遠に語りつぐであろうひとの名を冠した都市があります。じっさい、人の心の常として、物であらわしたイメージによって絶えず刺激されなければ、どんな記憶もたちまちうすれてしまうものです。
 しかし、大理石や金属よりいっそう確実で永続性を求めるひとは、詩神の保護の下に、つまり、不朽の文学作品に、偉大な人びとの名声を託します。ところで、人間の英知はこの地上に満足しきって、あえてそれを超えようとはしなかったと、どうしていえましょうか? それどころか、英知は人工的な記念物が暴力や自然の怒りや歳月によって、ついには破壊されることを十分に理解し見抜きます。そして、貪欲な時や嫉妬深い歳月をどうすることもできない、もっと滅びにくい記念物を考えだしました。こうして、天空に目をうつし、永遠に記憶されるきわめて明るい星の天球に、偉大な人びとの名をつけました。その名は、輝かしい崇高な行いによって、その星とともに永遠の生命をうけるに値する、とみなされたからです。こうすることによって、星がその名でよばれるようになったユピテル(木星)、マルス(火星)、メルクリウス(水星)、ヘルクレス(星座名)、その他の英雄たちの名声は、その星が輝きを失うまでは、決してうすれることはないでしょう。しかし、人間の英知のこの創意は、もっと高貴な讃えるべき行為であるのに数世紀のあいだ廃れていました。ところがいまや古代の英雄たちは栄光の座につき、ようやくその権利を回復するに至っています。
ガレリオ・ガルレイ「星界の報告」


2017年2月24日金曜日

歴史は諸々の武器や道具の過程の跡をたどる

  歴史が力動的なもの、運動的なものと考えられる場合には、その経済的・産業的側面が協調される。経済的・産業的側面とは、人類が不断にとりくんでいる問題、すなわちいかに生活すべきか、自然をして人間生活の豊富化に貢献せしめるようにするには自然をどのように駆使し利用すべきかという問題をいいあらわす専門的な用語にほかならない。文明における諸々の偉大な進歩は、人間をその不安な自然への服従から引き上げ、いかにして人間が自然の力を人間自身の目的に協力せしめることができるかを人間にしめしたところの知性の発現をとおしてもたらされたものである。子どもが現在そのなかに生活している社会的な世界はあまりにも豊富であり潤沢であるから、それがどれだけ値打ちのあるものか、その背後にどれだけの努力と思考がよこたわっているものかを看取することは容易ではない。人類はいまやお膳立てをされた巨大な支度をもっている。子どもはこれらのすでに出来上がっている資産を流動的な形に置きかえるようにみちびかれることができる。子どもは、受け継がれた資本をもたずに、道具をもたずに、加工された材料をもたずに、自然とじかに向き合った人間を直視するように導かれることができる。
 かくして一歩一歩、子どもは人間が自己の状態の諸々の必要を認識し、これを使用することによって、それらの必要に応じることができるようになる諸々の必要を認識し、これを使用することによって、それらの必要に応じることができるようになる諸々の武器や道具を考えだした過程の跡をたどることができる。そして、いかにこれらの新しい資力が新しい発展の天地をひらき、新しい諸々の問題を生み出したかを学ぶことができる。人類の産業史は唯物論的な、すなわちたんに功利主義的なことがらではない。それは知性の問題である。産業史の記録は、いかにして人間が思考することを学び、思考して或る結果を生じせしめることを学び、生活そのものが違ったものになるようになねように生活の状態を変改することを学んだかの記録である。それはまた倫理的な記録でもある。すなわち人類がその諸々の目的に仕えるために忍耐づよくつくりだしたところの諸状態の説明書でもある。
ジョン・デューイ「学校と社会」

2017年2月22日水曜日

激しい飢餓は狂暴の嵐の中で、力の弱い者が強いものの餌食になる

  自然と真理とを研究するだけでは賢人には不足である。考えることを欲しまたできる少数の人のために、進んでこれを述べる義務がある。けだし、その他の人々、自ら進んで偏見の奴隷となっている徒輩に至っては、蛙に羽で飛ぶことができないと同様、かれらが真理に達することは不可能の業だからである。
 もっとも賢明な連中は、魂はただ信仰の光によってのみ、自らを識ることができる。しかも道理のわかった人間という資格で、精神なる言葉によって聖書がなにを意味しようとしたかをしらべてみる権利は、これを留保しうると信じたのである。聖書は、人間の魂を語る際に、この言葉を用いている。さらに神学者たちは他のすべての点に関して相互の間に果たしてこれ以上の一致を見せているであろうか。
 神なるものがあるとすれば、それは自然界の創造者であり、同じく天啓の創造者である。神は一方を說明するために、他方をわれわれに与え、さらに両方を調和させるために理性を与えたのである。生物体の中から汲みとりうる知識を信用しないことは、自然と天啓とを、相互に衝突しあう二つの相反したものとして眺めることであり、従って、神はその数多くの創造者において矛盾し、われわれを欺くものとなり、途方もないことを、大胆にも指示することになる。
 人間はきわめて複雑な機械である。一挙にしてあきらかなる観念を持つことは不可能であり、従ってこれを定義することは不可能である。獰猛性は他の原因からもきているが、教育の力を借りなければ無力にすることはできない。この獰猛性は魂の中に傲慢、憎悪、他国民への蔑視、不柔順、およびその他の感情をつくりだすが、これらのものが性格を低劣にさせるのである。激しい飢餓はじつに極端なところまでわれわれを押しやるではないか! 自分が生命を貰った生命、ないし自分が生命を与えた生命に対してさえ見さかいがつかなくなってしまい、牙をむき出してこれを引き裂き、恐ろしい饗宴を始める。人を無我夢中にするこの狂暴の嵐の中で、力の弱いものが強いものの餌食になる。
ド・ラ・メトリ著「人間機械論」

2017年2月20日月曜日

名誉欲、復讐欲、支配欲は決して完全には満たされない激情である

 ある欲望が、その対象の表象に先立って、発生するという主観的可能性が性癖である。ー欲求能力が未だ知られていないこの対象を占有するように内的に強いられることが本能である。ー主観に対して規則や習慣として役立つ感性的欲望は傾向性と称される。ーある種の選択に対して、それをすべての傾向性の総和と比較しようとする理性を妨げるところの傾向性が激情である。

 激情はきわめて冷静な反省とも結合せられて、したがって情緒の如く無思慮である必要がなく、それ故にまた狂暴でもなければ一時的なものでもなく、むしろ深く腰をすえ、理屈とすら共存しうるものであるから、自由を毀傷することが最も大であり、情緒が酩酊であるとすれば激情が疾病であることは容易に洞察できる。しかもこの疾病に向かってはいかなる治療薬も効を奏せず、したがってあらゆる一時的な精神動揺と情緒よりもはるかに悪質なものである。後者ならば少なくとも改善の決意を起させるが、激情はそのやうなものではなく、改善をすら寄せ付けない惑乱である。

 我々は激情を呼ぶのに欲という語をもってするー名誉欲、復讐欲、支配欲等々ー。したがって激情的な惚れ込みは、相手方が飽くまで拒絶の態度に執着するかぎり激情の一つに数えられる。それは、客体に関してあくまで固執する原理を含むからである。激情はいつでも、傾向性から主観に指令された目的に従って行動しようとする。主観の格率を前提している。故に激情はつねに主観の理性と結合されており、単なる動物に激情を認めえないのは、純粋な理性存在者におけると同様である。名誉欲、復讐欲等々は、決して完全には満たされないものであるから、まさしくそのため姑息薬しかない痼疾として、激情に数えられるのである。

イマヌエル・カント「人間学」

2017年2月18日土曜日

戦争の野蛮な行いを安らかな平和をもって助ける

  女神よ、永遠の魅力を、私の詩に与えたまえ。その間中、戦争の野蛮な行いを、海といわず、あらゆる陸といわず、ことごとく眠らせ、休止させたまえ。死すべき人類を、安らかな平和を以て、助けることができるのは、あなた独りだけなのだから。というのは、戦争という蛮行を支配するのは、戦に強き武神であり(軍神の別称)、しかも武神は、あなたに対する恋の永遠の深傷にうちひしがれて、ますますあなたの膝の上に、身を投げ出すのだから。それのみかなお、滑らかな首を横たえて、見上げつつ、口を開いて、女神よ、あなたを見つめつつ飢えた眼に恋の思いをむさぼらしてやり、そのあお向きになった彼の息は、あなたの口の左右するままにまかされているのだから。女神よ、あなたの神聖な体の上に横たわる武神に、上から抱いて、あなたの口から、甘い言葉を注ぎかけ、世にあまねく知れわたる女神よ、ローマ人のために、安らかな平和の来るように乞いたまえ。祖国がこのように不安定であっては(第一期三頭政治直前の不安定な社会情勢をさす)。心を平らかにして、充分に、務めをはたすことは、私にはできないし、且つまた、メンミウス家の立派な子孫にとっても、このような時局に際しては、国家の福祉のために、政務から遠ざかっていないのだから。

ティトゥス・ルクレーティウス・カルス

「物の本質について」


2017年2月16日木曜日

自らを慰め微かながら時代を憂い嘆いた市民の声

二・二六事変(1936年)
 重大なこと起れるにかかはりのなきが如く人ら往きかへるも
スペイン動乱(1936年)
 ひとつの国の民らたがひに敵となり戦はねばならぬものありといはむか
事変(1937年)
  いつの世になりたらば戦のやむならむ尽くることなきたたかひを思ふ
欧州大戦序曲(1939年)
  陥落を伝へしワルソウに女子供もあわれ銃をとり死守しいるとぞ
ノモンハン高原(1936年)
  コロンバイルに戦ひ死にし同胞の一万八千あまりかなしも
欧州大戦図(1940年)
  ほしいままなる人類の惨虐地の上にのこしてこの年五月は去りぬ
独蘇開戦(1941年)
  戦は童ら地に線描きて国取りするが如く思はゆる瞬間があり
戦う世界(1943年)
  ドイツ軍神にしあらねばスターリングラードに重囲のなかに陥りにけり
イタリア崩壊(1943年)
  いまの現にわが生きわりてまさに見るファシズム・イタリア崩壊の日
欧州上陸作戦(1944年)
  この月のかけにつつまた満ち照らむまでに戦争のやむとしいはば
焦土(1945年)
  大爆撃に一夜のうちに焼け果てし市路に立ちて声さへ出でず
暁光(1945年)
  真夜ふかく極まるときし東の暁の光のただよふにかあせし

南原 繁「歌集『形相』」







2017年2月14日火曜日

軍神は盲目により、人殺し、闘争心、敵愾心、対抗意識となる

 エロス(愛)とは対局にある軍神アレスだが、銅板に画かれているのを見たまえ。人間がこの神をいかに崇めまつっているかがわかる。しかし同時に、そのアレスは何と悪しざまに言われていることか。ソポクレスが「女たちよ、アレスは盲目ゆえに、ただやみくもに」猪にも似た顔をして、あらゆる禍をかきまわす。」といっているかと思えば、ホメロスはアレスの事を「血汐に染んだ」とか呼んでいるし、ストア派のクリュシュボスが、この神の名の由来を說明した文句などは、そのままこの神に対する非難誹謗だね。
 「アレスとは「人殺し」ということだと言い、つまりアレスというのは、吾々の内部にひそむ闘争心、論争好き、激しやすさ、そういうものを指す呼び名だと考える人々に道を開いたというわけだ。このほかにも、アプロディナとは欲望のことだと言う人もあるだろうし、ヘルメスは言論、ミュースは技芸で、アテナは智慧だという人もあるだろう。もしこんな調子で、すべての神々を片はしから、人間の感情や能力や徳性の異名だということにしてしまったら、たぶん無視論の深淵に吸い込まれていくのを見る思いがするだろう。」
 ペンプティディスが言った。「そのとおりだ。だが神々とは人間のいろいろな感情のことだとするのも、また反対に、感情が神だと考えるのも、どちらも不敬のそしりを免れない点では同じだな」父が言った。「するとどうなのかね。君はアレスは神だと信じるのか、それとも我々の感情のことだと思っているのか。」ペンプティディスが、「アレスは神で、我々の心の中の激しさや勇気を司っているのだ」と答えると、父が一段と声を張り上げて、「というとつまりなんだね、君の考えだと、闘争心や敵愾心、対抗意識などの神はあるが、愛情や協調の精神、和の精神などの神はないことになるのかな。人間が殺したり殺されたりする、剣を振い矢を放ち、あるいは城壁に押し寄せ、あるいは戦利品を奪い去る、そういう場合には、荒ぶる神だか軍神だかいうのがいて、それを見そなわし、そして判定を下すが、結婚を目指す情熱や、心を一つにし、行動をともにしたいと願う愛については、その証人となってください神もなければ、指導し案内し助けてください神様もないというわけか。」
プルタルコス「愛をめぐる対話」


2017年2月11日土曜日

血も情意も烈しい混乱が抽象的な天が具体的な仏に変化

 百済観音の像の美しさは、それだけでは明らかにならない。漢の様式の特質を中から動かして仏教美術の創作に趣かせたものは、漢人固有の情熱でも思想でもなかった。外蛮の盛んな侵入によって、血も情意も烈しい混乱に陥っていた当時の漢人は、和らぎと優しみとに対する心からの憧憬の上に、さらにかつて知らなかった新しい心情のひらめきを感じはじめていた。それは地の下からおもむろに萌え出て来る春の予感に似かよったものであった。かくしてインドや西域の文化は、ようやく漢人に咀嚼せられ始めたのである。異国情調を慕う心もそれに伴って起こった。無限の慈悲をもって衆生を抱擁する異国の神は、ついにひそやかに彼らの胸の奥に忍び込んだのであった。
 抽象的な「天」が、具体的な「仏」に変化するるその驚嘆をわれわれは百済観音から甘受するのである。人体の美しさ、慈悲の心の貴さ、ーそれを嬰児のごとく新鮮な感動によって迎えられた過渡期の人々は、人の姿における超人的存在の表現をようやく理解し得るに至った。神秘的なものをかくおのれに近いものとして感ずることは、ーしかもそれを目でもって見得るということは、ー彼らにとって、世界の光景が一変するほどの出来事であった。彼らは新しい目で人体をながめ、新しい心で人情を感じた。そこに測り難い深さが見いだされた。そこに浄土の象徴があった。そうしてその感動の結晶として、漢の様式をもってする仏像が作り出されたのである。
 百済観音がシナ人の作だというのではない、百済観音を形成している様式の意義を考えているのである。シナではそれはいくつかの様式のうちの一つであった。しかし日本へくるとこの様式がほとんど決定的な力を持っている。それほど日本人はこの様式の背後にある体験に共鳴したのである。
和辻 哲郎「古寺巡礼」

2017年2月10日金曜日

歴史的戦争は両国民性の特有の相違により異なる

  もちろん歴史は種々なる原因の相働く跡をのぼるものと考えることができるであう。しかしかくその跡をのぼるというのは、単にのぼる為にのぼるのではなくして、これによってその事件の個性を現すためではなかろうか。例えば、ここに二人の人物があって、その一人は強き性格を備え常に周囲を支配し、他の一人は弱気性格を備え、常に周囲から支配されるるとせよ。歴史家はこれらの人の事蹟を単にいわゆる強き原因に従って無意義に羅列するであろうか。強き人は強くして他を支配する所に、弱き人は弱くして他から支配せられる所に、各人特有の個性を表そうとするのではなかろうか。
 例えば、ある歴史家がフランス革命の事蹟及び原因をあきらかにしたとせよ。ドイツにおいて同一の事情が及び原因があったとしても、ドイツにおいてはフランスの如き性質の革命は起こらなかったかも知れない。これは両国民性の相違によると見るべきであろう。同一の原因であっても、ある国民にはある事件の原因となるが、ある国民においてはその原因とならぬということとなる。すなわち歴史的効力というのも国民性によって異なってくるといわねばなるまい。
 歴史的効力によってある事件の原因をあきらかにするということと、国民性の理解という如きことと相離すことはできないであろう。歴史において原因結果を明らかにするのは、自然科学においてのように因果関係を明らかにするのではない。因果関係を明らかにうることによって個性を明らかにするのである。ことごとく歴史においては個性が明らかにすることによって個性を明らかにするといえば、そこに論理の循環があると考える人も人もあろう。もちろん歴史家もある一事件の因果関係を明らかにしない前に、その個性を明らかにできるはずはない。ただその因果関係を明らかにするのは、因果関係のためにこれを明らかにするのではなく、個性を明らかにする為であるというのである。
西田 幾太郎「思索と体験」

2017年2月8日水曜日

世界宗教は世界大戦の軍隊の心術と前哨

 深い真理は尊大な態度で立ち現れない。いわんや重苦しい屈辱がわれわれ海外で福音を宣べ伝えているもの一同を待ち受けているにおいてをやである。『どこにいったい汝らの倫理的宗教はあるのか』とかれらはわれわれに問う、それが原生林の原始人であっても或いは極東の教養人であっても。キリスト教が愛の宗教として果たしてきたものは、それがキリスト教国民を平和愛好心に教育するに十分なだけ強くなかったことにより、またそれが(第一次)大戦当時なおあのようなはなはだ世俗的にして憎むべき心術と結託した、ということ、しかり今日もなおまだそれらから絶縁していないということによって、払拭されたものと考えられる。身の毛のよだつ仕方でそれはイエスの精神に不忠実となった。われわれが海外で福音を宣べ伝えるばあい、この悲しむべき事実については何も否認しないよう又何も体裁を飾らないようにしよう。われわれはあまりにたやすくイエスの精神をもっていると思い込んでいたために、それを深く堕落したのである。いまやイエスの精神そのものをもとめるより真剣な闘いがはじまるべきである。
 今日海外で福音を宣べ伝えていて、われわれは、ひとたび(第一次世界大戦の)敗戦を経験したがようやくもういちど強くならなければならない一つの軍隊の前哨なのである。しかしわれわれは勇敢な前哨でありたい。人間のいかなる誤りもまたいかなる不忠実も、イエスの福音からそれがそのなかに担っているいる真理を取り去ることはできない。そしてただ真の「世界とは異なる存在」においてあるわれわれ自身に、生き生きとした倫理的の神によって捉えられた状態の幾分かが啓示されるとき、そのときイエスの真理はわれわれから発するのである。
アルベルト・シュヴァイツェル「キリスト教と世界宗教」

2017年2月6日月曜日

強力な軍事的支配の社会組織は他の総ての有能支配を塞ぐ

 ナポレオンは、社会の秩序の救う「名刀」の役割をになってあらわれ、それによって彼以外のすべての将軍たちをこの役割からとおざけたが、その将軍たちのあるものは、ナポレオンとおなじか、あるいはほとんどおなじようにその役割を果たしていたかもしれないのだ。ひとたび、強力な軍事的支配者をもとめる社会の欲求がみたされると、社会組織は、その他のすべての有能な軍人が支配者にのぼるみちをふさいでしまった。社会組織の力は、同類の他の有能な人間がでてくるのには都合のわるい力となった。このおかげで、われわれがさきにのべたような錯覚が生れるのには都合ののわるい力となった。このおかげで、われわれがさきにのべたような錯覚が生れるのである。
 ナポレオンの個人的な力は、きわめて大げさなかたちでわれわれのまえにあらわれる。というのは、彼の個人的な力をまえにおしだし、それを支えていたあらゆる社会勢力を、われわれは彼の個人的な力のせいにしてしまうからである。ナポレオンの個人的な力は、われわれになにかきわめて特別なもののようにおもわれる。というのは、それに似たさまざまの力は可能性から現実性に変らなかったからである。そこで、もしもナポレオンがいなっかたらどうだっただろうか、ときかれると、われわれの想像はこんがらがって、彼の力や影響のもととなっていた社会運動はすべて、彼がいなかったらまったくおこらなかっただろう、とおもわれるのである。
 それにくらべれば、人類の知的発展の歴史のなかで、ある個人の成功が他のものの成功を妨げることはまずめったにない。だが、このばあいでも、われわれはまえにいった錯覚からまぬがれない。社会のある一定の状態が、その社会の精神的な面の代表者に一定の問題を提起すると、その問題がうまく解決されるまで、すぐれた知能の持主の注意はそれにひきつけられる。だが、いったんそれがうまく解決されると、彼らの注意はべつの対象にむけられる。

ゲオルギー・ヴァレンチヴィチ・プレハーノフ

「歴史における個人の役割」

2017年2月4日土曜日

多数決原理は平等ではなく自由の理念から導き出される

 自由の理念から、多数決原理が導き出されるべきものであってー一般に考へられるのを常とするようにー平等の理念からではない。しかしこの平等である、ということは、単なる想像であって、人間の意思や、人間の人格を、有効に測量し、計算するということが出来ることを意味しない。多数の票が少数の票より、大なる全重量を持っている、という理由を以て、多数決原理を是認することは、不可能であろう。
 ある者が他の者に少しも値しないという、純粋に否定的な推定からは、多数の意思が妥当せねばならぬということを、未だ積極的に推論することが出来るものではない。若し多数決原理を、平等の理念だけから導き出そうと試みるならば、それは独裁主義の立場から非難するように、事実あの純機械的な、しかのみならず無意味な性質を持つことになる。
 多数者が少数者より強い、ということは、辛うじて構成せられた経験上の表現にすぎないであろう。そして「力は正義に勝る」という格言は、それ自らを法文に高める限りにおいてのみ、克服せられるであろう。ただーたとひ凡てではなくともー出来るだけ多数の人間が自由である、即ち出来るだけ少数の人間が、彼等の意思と共に、社会秩序の普遍的意思と矛盾に陥らねばならなぬ、という考えだけが、多数決原理への、合理的途上に導くものである。
 その際、平等が、当然にデモクラシーの基本仮定として、前提せられるということは、この者が少しもかの者に値しないから、直ちにこの者又はかの者が、自由でなければならなぬ、というのではなく、出来るだけ多数の者が、自由でなければならぬ、という点に表明される。そこで、国家意思の変更を来すために、より少ない個人意思と合致することが、必要となればなるほど、個人意思と国家意思との一致符号は、ますます容易になる。絶対的多数は、ここに事実上、最高の限界を呈示する。国家意思が、その成立の瞬間において、より多くの個人意思と一致するよりは矛盾する、という可能性は、より少なくなるであろうし、少数が国家意思をーその変更を妨げることによってー多数と反対して決定することが出来る、という可能性は、ますます多くなるであろう。
ハンス・ケルゼン「デモクラシーの本質と価値」


2017年2月2日木曜日

戦争は世界無上の禍なれども、西洋諸国、常に戦争を事とせり

   西洋諸国を文明というといえども、正しく今の世界にありてこの名を下だすべきのみ。細かににこれを論ずれば足らざるもの甚だ多し。戦争は世界無上の禍なれども、西洋諸国、常に戦争を事とせり。盗賊殺人は人間の一大悪事なれども、西洋諸国にて物を盗むあり人を殺す者あり。国内に党与を結て権を争う者あり、権を失うて不平を唱る者あり。いわんやその外国交際の法の如きは、権謀術数至らざる所なしというも可なり。ただ一般にこれを見渡して善盛に趣くの勢いあるのみにて、決して今の有様を見て直ちにこれを至善というべからず。今後数千百年にして、世界人民の智徳大いに進み、太平安楽の極度に至ることあれば、今の西洋諸国の有様を見て、愍然たる野蛮の歎を為すこともあるべし。これに由りてこれを観れば、文明は限なきものにて、今の西洋諸国を以て満足すべきにあらざるなり。
 西洋諸国の文明は以って満足するに足らず。然らば則ちこれを捨てて採らざるか。これを採らざるときは何れの地位に居て安んずるか。半開も安んずべき地位にあらず、いわんや野蛮の地位に於いてや。この二つの地位を棄れば、別にまた帰する所を求めざるべからず。今より数千百年の後を期して彼の太平安楽の極度を待たんとするも、ただこれ人の想像のみ。かつ文明は死物にあらず、動て進むものなり。動て進むものは必ず順序階級を経ざるべからず。則ち野蛮は半開に進み、半開は文明に進み、その文明も今正に進歩の時なり。
福沢 諭吉「文明論之概略」

2017年1月31日火曜日

特殊な信仰と他の信仰の利害で死活する

 信じた方がわれわれにてとってよりよいものは、その信仰がたまたまわれわれの死活を決するような他の利害と衝突するような場合を除いては、真であるといった。ところで現実の生活において、われわれのもっている何か特殊な信仰がもっとも衝突しやすいわれわれの死活を決するような利害とは何であろうか。ほかでもない、それははじめに抱いていた信仰と両立しないとわかる他の信仰によって与えられる利益なのである。
 いいかえると、われわれの真理のどれでも最大の敵は、われわれが現にもっている真理以外の真理であろう。真理というものはもとより自己保存および自己に矛盾するものは何もかにも絶滅しようとする欲望、このすさまじい本能をもったものである。私にもらしてくれる善のゆえに、わたしの抱く絶対者にたいする信仰は、それ以外のすべての私の信仰から猛攻撃をうけねばならない。いまかりに絶対者への信仰は私に精神の休暇を与えてくれるから真であるとしてみよう。それにもかかわらず、私の考えるところではーいま私がいわば本心をさらけ出して、ただ私一個人の資格でいうのであるがー絶対者への信仰は、絶対者のためだからといって見すてるのにしのびないさまざまな利益をもった私の真理と衝突する。
 それはもしかすると私の大嫌いな一種の論理を連想させるかもしれない、するとそれが肯いがたい形而上学上のいろいろな逆理に私をまき込もうとするのに気づく、等々。ところが私はこのような知的な矛盾を背負いこむまでもなく既に人生の苦労を十分をもっているのであるから、私ならそんな絶対者などはあっさり放棄してしまう。私はただ精神の休暇だけをすなをに採用するか、でなければ、専門哲学者らしく、何か別の原理でそれを正当化しようと試みる。
ウィリアム・ジェイムズ「プラグマティズム」

2017年1月29日日曜日

生を無に対立させる東洋的想像力

 無と闇とのある類似性が認められている。目が闇を見ることができないのと同様に、知性は無を思考することができない。まさにこの紛れも無い類似こそ、我々をそれらの共通な起源に導く。
 無は存在の対立物として、東洋的想像力の産物である。この東洋的想像力は、実在しないものを実在と考え、死を独立した絶滅原理として生に対立させ、光に夜を、あたかも夜がたんに光のたんなる不在にすぎないのではなく、独立した積極的なものであるかのように対立させる。
 したがって光に対立されたものとして夜が実在性をもつ程度に、あるいは持たない程度に、あるいはそれ以下に、実在一般の対立物としての無は、根拠および理性的実在性をもち、あるいはもたない。
 しかしながら、夜が実体化されるのは、ただ次のような場合にかぎられる。すなわち、人間がまだ主観的なものと客観的なものとを区別しない場合、人間が自分の主観的な印象と感覚を客観的なものとを区別しない場合、人間が自分の主観的な印象と感覚を客観的なものとを区別しない場合、人間が自分の主観的な印象と感覚を客観的な性質とする場合、人間の表象の視野がまだきわめて狭い場合、人間の自分の局所的な立場を世界、宇宙そのものの立場と考える場合、そのために、自分にとって光の消失を現実の消失とみなし、闇を光源そのものである太陽の消失と考える場合、そしてまさにそのために彼が、光に敵対する特殊な存在を仮定しないと、暗くなることを説明することができず、日食の時にはそうした存在を太陽と戦う竜または蛇の姿として見る、そういう場合である。光に敵対する特殊な存在としての闇は、その根拠を知的な闇のうちにのみもっている。つまりされは空想のうちのみ存在する。
ルートヴッヒ・アレンドレアス・フォイエルバッハ「将来の哲学の根本命題」

全く盲目的な好奇心に捉えられている戦争

 事物の真理を探究するには方法が必要である。

 人間とは全く盲目的な好奇心に捉えられているので、しばしば、何の見込みももだず、ただみずから求めるものが見つかるかどうか試して見たいばかりに、知らぬ途によってその精神を導くものである。あたかも、宝を見出そうという愚かな欲望に燃える者が、絶えず街路をうろつき、何か旅人の落とした物でもひょっと見つかるかと探しまわる、と同じである。すべてそういう努力をしている。そして実際、迷い歩くうちに時として幸いにも何らかの真理を発見することのあるのを、私は否定せぬ。けれども、だからといって、かれらが、他人よりも有能だというわけにはゆかぬ。より運がよいといえるだけである。ともかくも、事物の真理を探ねるのに、方法なしでやるくらいなら、それを全く企てない方が遥かにましなのである。というのは、そういう無秩序な研究や不明瞭な省察によって自然的な光明が曇らされ精神が盲にされるにきまっているからである。そして誰でもかようように暗闇の中を歩きなれると、視力を弱らせてしまい、後には明らかな光にに耐えられなくなくなる。このことを経験もまた確証する。なぜなら、少しも学問をしたのことのない者が、ずっと学校にいた人よりも、遥かにしっかりとした判断を、目前の事物について下すこと、きわめて多いからである。ところで私が方法というのは、確実な容易な規則、それを正確に守る人は誰でも、虚偽を真理として認容することは決してなく、精神の努力を無益に費やさず常に次第に知識を増しつつ、その達しうる限りの事物の、真の認識に到達するであろうな、規則である。

ルネ・デカルト「精神指導の規則」

2017年1月26日木曜日

絶対ではなく有限な悟性による戦争の対立

  知識と行為の対立もその他のすべての対立と同じである。すなわちそういう対立は、各項がそれだけで絶対的にとらえられず、したがってただ有限な悟性によってのみとらえられる限りにおいてのみ存在するのである。対立がなされる根拠は、知識と行為とのともに不完全な概念の中にあるだけであって、そういうことは知識が行為に対する手段として理解されることによって起こるともいえる。本当に絶対的行為に対しては知識は決して手段という関係にはありえぬ。なぜなら、そういう行為は絶対的である以上、或る知識によって定められはしないのだから。知識においてもそうであるが、その同じ統一は行為においても形成されてそれ自身に根拠をもつ一つの絶対的な世界となる。ここでは現象する行為や現象する知識が問題なのではない。そういうものは各々他に対する対立においてのみ実在性をもつのだから、他とともに生滅する。
 上で述べたような知識と行為の絶対的統一の意味を理解しないものたちは、それに反対して次のような俗論をもち出すのである。すなわち、知識と行為とが一であるならば、行為は常に知識から続いて起こらなくてはならぬわけだが、人々はしかし正義やそれに類したことをよく知っていても必ずそのゆえにそれをなすとは限らぬ場合が往々ある、というのである。行為が知識から続いて起らぬという点で彼らは全く正しい。彼らが間違っているのは、ただそういう序列を期待する点にある。彼らは絶対的なものの間の関係を何も理解していない、知識と行為という特殊の各々が、それだけで無制約であり得ることを理解しない、そして一方を目的という点のみ着眼し、他方を手段という点にのみ着眼して、相対者としてしまうのである。
フリードリヒ・シェリング「学問論」

2017年1月24日火曜日

帝国主義の戦争と投降が人民大衆を圧迫する

 帝国主義が、主要な矛盾と主要でない矛盾との関係が複雑な状況を示している半植民地国に対して侵略戦争をおこなっているときには、このような国の内部の各階級は、一部の売国分子をのぞいて、すべて一時的に団結して民族戦争をおこない、帝国主義に反対することができる。そのときには、帝国主義とその国とのあいだの矛盾が主要な矛盾となり、その国の内部の各階級のあいだのすべての矛盾、封建制度と人民大衆との矛盾という主要な矛盾を含めて、いずれも一時的に、第二義的で従属的な地位にさがる。中国の1894年の中日戦争、日清戦争、朝鮮に対する干渉をきっかけとしておこった。敗北した清朝政府は日本と馬関条約を結んだ。1900年の義和団戦争、および当面の中日戦争、1937年7月7日のいわゆる盧溝橋事件にはじまり、8年間続いた。いずれもこのような状況がみられる。
 しかし、別の状況のもとでは、諸矛盾の地位に変化が生まれる。帝国主義が戦争によって圧迫するのではなく、政治、経済、文化などの比較的温和な形式によって圧迫するばあいには、半植民地国の支配階級は帝国主義に投降し、両者が同盟を結び、共同して人民大衆を圧迫する。こうした場合には、人民大衆は、しばしば国内戦争の形式をとって、帝国主義と封建階級の同盟とたたかい、そして帝国主義は、しばしば間接的な方式をもって半植民地の反動派が人民を抑圧するのを援助し、直接的な行動をとらない。このような場合には、内部矛盾の特別な鋭さがあらわれてくる。中国の辛亥革命戦争、1924年から1927年までの革命戦争、1927年以後の十年間の土地革命戦争には、いずれもこのような状況がみられる。さらに、半植民地国における各反動集団の間の内戦、たとえば、中国の軍閥戦争も、この部類に属する。

毛沢東「実践論・矛盾論」

2017年1月21日土曜日

武家の御進退は十分ならん事難し

  先ず、国王・大臣より始め奉りて、公家の御たたずまひ、武家の御進退は及ぶべ所にあらざれば、十分ならん事難し。さりながら、よくよく、言葉を尋ね、科を求めて、見所の御意見を待つべきか。そのほか、上職の品々、花鳥風月の事態、いかにもいかにも、細かに似すべし。田夫・野人の事に至りては、さのみに細かに、賤しげなる態をば似すべからず。假令、木樵・草刈・炭焼・監汲などの、風情にもなりつべき能をば、細かに似すべきか。それよりなほ精しからん下職ほば、さのみには似すまじきなり。これ上方の御目に見ゆべからず。もし見えば、余りに賤しくて、面白き所有るべからず。このあてがひを、よくよく心得べし。

 強気・幽玄・弱き・荒きを知る事、大方は見えたる事なれば、たやすきやうなれども、真実これを知らぬによりて、弱く、荒き為手多し。先づ、一切の物まねに、偽る所にて、荒くも弱くもなると知るべし。よくよく、心底を分けて案じ納むべき事なり。
 先づ、弱かるべき事を強くするは、偽りなれば、これ荒きなり。強かべき事に強きは、これ、強きなり。荒きにはあらず。もし。強かるべき事を、幽玄にせんとて、物まねに任せて、その物に成り入りて、偽りなくば、荒くも弱くもあるまじきなり。また、強かるべき理過ぎて強きは、殊さら荒きなり。幽玄の風体よりなほ優しくせんとせば、これ、殊さら弱きなり。この分け目をよくよく見るに、幽玄と強きと別にあるものと心得る故に、迷うなり。

世阿弥「風姿花伝」

2017年1月18日水曜日

君主の野心や貪欲が市民に戦争を招きよせる

   専制君主は彼の臣民に社会の安寧を確保する、というひともあろう。いかにも。しかし、彼の野心が臣民たちに招きよせる戦争や、彼のあくことなき貪欲や、彼の大臣どもの無理難題が、臣民たちの不和がつくり出す以上の苦しみを与えるとしたならば、臣民たちは何のうろところがあろう? もし、この安寧そのものが臣民たちの悲惨の一つであるならば、彼らは何のうるところがあるだろう? ひとは牢獄のなかでも安らかに暮らせる。だからといって、牢獄が快適だといえるか? キクロポスのほら穴に閉じ込められたギリシア人たちは、食い殺される順番がくるまでは、そこで安らかにに暮らしたのである。
 一人の人間が、ただで自分の身をあたえるなどというのは、ばかばかしくて想像もつかぬことである。こうした行為は、それをやる人が思慮分別を失っているという、ただそのことだけで、不法な行為なのだ。それとおなじことを人民全体についていうのは、人民を気ちがいとみなすことである。ところで、狂気からは何の権利も生まれない。
  自分の自由の放棄、それは人間たる資格、人類の権利ならびに義務さえ放棄することである。何びとにせよ、すべてを放棄する人には、どんなつぐないも与えられない。こうした放棄は、人間の本性と相いれない。そして、意思から自由を全くうばい去ることは、おこないから道徳性を全くうばい去ることである。要するに、約束するとき、一方に絶対の権威をあたえ、他方に無制限の服従を強いるのは、空虚な矛盾した約束なのだ。もし、ある人にすべてを要求しうるとすれば、その人から何の拘束もうけないことは明らかではなかろうか? そして代償もあたえず、交換もしない、というこの条件だけで、その約束行為は無効だということにはなりはしないか? なぜなら、わたしのドレイはわたしにたいして、いかなる権利をもつであろうか? というのは、すべて彼のものはわたしのものであり、また、彼の権利はわたしの権利であるからには、この権利はわたしに対するわたしの権利ということになり、それは何の意味もない言葉だから。
ジャン-ジャク・ルソー「社会契約論」

2017年1月15日日曜日

暴君は暴逆で統率し民衆も暴逆を行う

 わが身をよく修める根本がでたらめで、末端の国や天下がよく治まっているのは、めったにない。力を入れることを手薄にしながら、手薄でもよいところがりっぱにできているという例は、まずないものだ。つまらない凡人は、一人で人目につかぬ所にいると、悪事をはたらいてどんなことでもやってのける。自分の悪事を隠して善いところを見せようとする。
 暴君は、自分で暴逆を行って天下を統率したから、民衆もそれに従って暴逆を行った。君主の命令が君主のほんとうの好みとはうらはらだというときは、そんな命令に民衆はしたがわない。一方的に相手を責めるだけでいて、他人をうまく納得させたという人は、あったためしがない。
 根本のことをなおざりにして末端に力を入れたりすると、民衆を利のために争わせて、奪い合いを教えることになる。財物に努めてお上の倉に集めると、民衆の方は貧困になって君主を離れて散り散りになる。道にそむいて手に入れた財貨は、道にそむいて出てゆくものだ。
 実利と名声を求め、小手先の技術を説くなど、世を惑わし民くさをたぶらかして仁義の教えをふさぎ止め、雑然といり乱れることになった。小人としての庶民は不幸なことに最高の統治の恩恵を受けることができないようになった。世の中は真っ暗になってふさがり、上下はひっくりかえって死病にとりつかれ、五代の衰世ともなると、世の乱はついに頂点に達した。

曾子・子思「大学・中庸」


2017年1月12日木曜日

逃亡の斬首と切捨御免から一人一両相場

 上野の戦争が敗れ、彰義隊討死となって吾々は敗亡すると、いやもう広い江戸が三日間というもの火うち箱のように狭くなってしまった。最初は昔の南北朝を極めるつもりだったが、官軍すばやくも「上野山門に屯集せる賊徒ども」と目指してしまった。自分は尽忠隊の一人で、上野下寺の宿坊顕正院詰だ。すわ戦争が始まったというので斬出したがたちまち敗北。
 黒門が破れ、火除地が敗れたので、彰義隊は討死。さあ志ある者は切腹、再挙を計る者は逃亡、自分はどっちにしようと思って、今の鶯坂辺へ往くと、竜虎隊百名許が進軍だ。御家人連で勇壮凛冽、自分達を見て「ご苦労っ」うわっとときの声を作り進むから、自分達もまた引帰す。この途端自分の組の者で、ぷつり草鞋の紐が引切れたので、後戻りしながら、後ろを向いて紐を結ぶと、ころりと首が落とされてしまった。これは敵に背中を見せたからとの事であった。夜に入って全軍敗北だ。
 すると官軍は「三日間切捨御免」という評判もはや隠れもない。こいつはたまらぬと、三河島村へ行く、同所は白河宮御領地で、さすがに一夜囲まってくれた家もある。まぐ小屋の臭い裡にかくれ、握飯を貰って食った時の旨さといったら、今に忘れやしない。
 天王寺を出て、駒込片町の親類へ辿ると、真平と断られ、「今朝も根津総門で脱走が二人斬られた。早く奥州へでも逃げたがよい」という。情けない訳で同所を去る。居酒屋へ入りかけると、官軍の人夫どもの話「俺あ今日は二つでやっと二両にありつけた」というのが正しく脱走兵を捉らえ、一人一両の相場らしい。脚が進むもんじゃない。この羽目になってごろうじろ・・・。

篠田 鉱造「増補 幕末百話」

2017年1月10日火曜日

独裁とは権力と利益を熱望する支配欲

   独裁とは権力と利益とを熱望する支配欲であると考えられるので、独裁者とはつぎのようなものである。庶民が、だれだれを挙げて執政官の補佐として祭礼の行列を司らしめたものかと協議をしている。その場にでて、その人たちは当然全権をにぎるべきものであると主張する。他のものらが人数は十名ではどうかと申出ると、それに答えて、言う「一名で十分である、ただしその者が真人間でなくてはならぬ」。

 ホメロスの詩句のなかでただこの一言だけを覚えている「多数統治は好ましからず、治者は一人たるべし」。その他は皆ご存じない。また得意顔につぎのように口説をもてあそぶ「われわれは結束して自ら之等の事件を審議しなければならない。愚民や市場を遠ざけよ。当路の者につきまとったり、かれらより侮辱や恩顧をうけたりすることを慎めよ」。端然と上衣をまとひ、程よく髪を刈らせ、念入りに爪をつませ、日の頂きをみはからって家をでて次のやうな御託をならべながら、そこらをのしまわる。

 「公務に向うて口嘴をはさむのが一体なんのつもりか合点がいかぬ」「あさましいものは民衆である、いつも施す人と与える人との奴隷となっているんだ」大会のときみすぼらしい不潔な者にそばにすわられると気がひけるものだ。

 またいう「いつになったら、わしらは公役や兵船用意で破産の憂目をのがれることか」「憎むべきは民塊の一味である。まず最初に民衆の手にかかって殺されたのは、全部の大衆を統御し在来の王権を覆滅したその人であった。」そのほかこのようなことを他国の人々へも、また市民のうちで同気同好の者どもへもいう。

テオフラストス「人さまざま」


2017年1月9日月曜日

植え付けられた思想感情が内外なる圧迫

 我々が未だ意識的にならなかった時、教育という美名の下に有意的に、また無意識的に伝来の思想感情はそのまま、無垢な心に、何等の疑問も選択も、批評も研究もなく無造作に植え付けられた、そこに根を下ろした。社会の風習、常識、世論などと称する肥料は日夜に供給せされ、かくしていつか根ざし深き頑強な幹ある大樹となった。我々は初めその大樹を真の我だと少しも疑わなかった。その時我々は内外に何の的も、圧迫ももたなかった。
 しかし、真の我はそういつまでも大樹の下に、僭王の脚下に安眠を貪ってはいなかった。かくの如くして我々の内に、真の我が、新しき生命が醒めたのは実は昨日今日のことではなかった。真王は早く僭王の前に反旗を翻した。内なる新しき者は内なる旧き者に早くも反抗を試みていたのだった。けれど新しきものの芽ぐまんとするとき旧きものは何らかの威厳あるものの如き声音もて「待てよ、待てよ」と常に叫んだ。たまたま固き地盤を破って萌え出た若芽も老木の影にその発育ははかばかしいものではなかった。
 ここにおいてか、我々は新しき者よと唱えるその同じ心において、「教えられし言葉そのままくりかえす鸚鵡となりて世にいきむやは」実にこれは悪戦であった。しかもかなり久しい悪戦であった。そして今や我々は内なる敵の征服者、勝利者として現れ出た。
 私は今、内なる敵に打ち勝ったといった。内なる圧迫と久しく戦った我々は今や新しき者として更に外なる圧迫を迎えねばならぬ運命に遭遇した。外なる圧迫の到来は内なる圧迫における我々の勝利の証明である。とはいえ内なる圧迫の絶滅は容易なわざではない。被征服者は常に征服者の弱点を狙っている。そして間隙さえ見い出せばいつでもまた頭をもたげようと待ちかまえている。

平塚明「平塚らいてう評論集」『青鞜』3巻6号、1913年6月


2017年1月7日土曜日

価値判断を排除する集団的感情と宗教的行動

 第一に、犯罪学者は、いわゆる「群衆犯罪」の本質について、劇場の観客心理の社会学的研究から多くのものを学ぶことができるであろう。なぜなら。劇場では、集団的衝動的行動の対象がつね明確に決まっていた、この行動が、芸術といういわば抽象的な、明確に限定された領域で起こるからである。そのためー責任の問題にとっていわば抽象的な、明確に限定された領域で起こるからである。そのためー責任の問題にとって非常に重要なことであるがー個人が居合わせた多数者によって如何に規定されるか、個人の価値判断や客観的な価値判断が「集団的感動」によって如何に排除されるか、それが他に見られぬほど純粋実験的に、また有無を言わせぬように観察され得るからである。
 第二に、宗教学者は、往々、教団の生活、その内部における犠牲的態度を教団の全員に共通な理想への献身ということで説明し、現世の生活の規律を生身の人間の生活を超えた完全な状態への期待ということで説明しようとする。ーつまり、それを宗教的信仰内容の力によるものと見ようとする。しかし、共同の行動や相互間の行動で、これと同じ特徴を示しているということを宗教学者が知ったらーこうした類似は、二つのことを教えるだろう。
 その一つは、宗教的行動というのは、宗教的内容とだけ結びついているものではなく、一般的な人間的な形式であって、この形式は超越的な対象において実現されるのみではなく、他の多くの感情に刺激された場合にも全く同様に実現されるものであるということ。もう一つ、宗教学者は、更に重要なこと、即ち、他から独立した宗教生活の中にも、特に宗教的でなく、むしろ社会的な諸要素が含まれているということ、つまり、ある種の相互的な態度や行為が含まれているということである。こういう態度や行為が宗教的感情と融合して発達して来たことは確かである。

ゲオルク・ジンメル「社会学の根本問題ー個人と社会ー」

2017年1月5日木曜日

戦争の一原因は社会制度と個人の心理にある

 こうしたさまざまな不幸の原因は、一部は社会制度の中に、一部は個人の心理の中にあるーもちろん、個人の心理は、それ自体、多分に社会制度の所産であ。私は、以前、幸福を増進するために必要な、社会制度の改革について書いたことがある。戦争、経済的な搾取、残酷さや恐怖をたたき込む教育、これらの廃止について本書で語るつもりは、私にはない。戦争を回避する方法を発見することは、私たちの分明にとって絶対的には必要である。しかし、人々が不幸なあまりに、一日一日を耐えて生きつづけていくよりも互いに殺戮しあうほうが恐ろしくないと思われるようである間は、そういう方法が見つかる見込みはない。
 機械生産の恩恵に、それを最も必要とする人びとが少しでもあずかれるようにするためには、貧困の恒常化を避けなければならない。しかし、金持ち自身が不幸であるとしたら、万人を金持ちにしたって、なんの足しになるだろうか。残酷さや恐怖をたたみ込む教育はよくないが、自らこういう情念のとりこになっている人たちからは、それ以外の教育を期待することはできない。このように考えてくると、いきおい、個人の問題に突き当たる。つまり古きよき日をなつかしむだけの今日の社会の只中にあって、男性や女性は、いつまでここで幸福を勝つ取るために何ができるか、ということだ。
 こうした不幸は、大部分、まちがった世界観、まちがった道徳、まちがった生活習慣によるもので、ために、人間であれ動物であれ、結局はその幸福のすべてがかかっている。実現可能な事柄に対するあの自然な熱意と欲望が打ち砕かれてしまうのである。こういうことは個人の力でなんとかなる事柄である。そこで、私は、人並みの幸運さえあれば、個人の幸福がかつ得られるような改革を示唆したいと思うのである。

バートランド・ラッセル「ラッセルの幸福論」

2017年1月3日火曜日

乏しい教育と識見が他力に任せる

  職人らの多くは辛抱強く年期奉公を経て、腕を磨いてきた工人たちであります。その腕前には並ならぬ修行が控えています。どんなに平凡に見えても、誰にでもすぐ出来る技ではありません。それに仕事を疎かにしないのは、職人の気質でさえありました。
 それ故に職人らにも仕事への誇りがあるのであります。ですが自分の名を誇ろうとするのではなく、正しい品物を作ることに、もっと誇りがあるのであります。いわば品物が主で自分は従なのであります。それ故一々名を残そうとは企てません。こういう気持ちこそは、もっと尊んでよいことではないでしょうか。実に多くの職人たちは、其の名を留めずににこの世を去ってゆきます。しかし職人らが親切に拵えた品物の中に、職人らがこの世に活きていた意味を宿ります。職人らは品物で勝負をしているのであります。物で残ろうとするので、名を残ろうとするのではありません。
 職人らの多くは教育も乏しく、識見も有たない人たちでありましょう。しかし正直な人であり信仰の人であることは出来たのであります。自分独りでし力が乏しかったとしても、祖先の経験や智慧に助けられて、力のある仕事が為し得たのであります。伝統への従順さは職人らの仕事を確実なものにしました。職人らがもし自分の力のみに頼って歩いたなら、きっと踏みはずしたり、つまずいたりしたでありましょう。ですが他力に任せた時、丁度帆一ぱいに風をはらんで滑らかに走る船のように安全に港に入ることが出来たのであります。

柳 宗悦「手仕事の日本」

2017年1月1日日曜日

婦人は集団的利害で子を戦争の祭壇の犠牲に

 満州で放たれた一発の銃声は、国内の騒音をはたと沈黙させた。とりわけ軍費縮小、軍制改革、二重外交、軍事費の整理縮小等、近来軍部に集中しがちであった批評の声は、たちまちにして暴戻なる支那膺懲、満蒙の権益擁護という、軍部のあげる血なまぐさい突貫の叫びの中に埋もれてしまった。赤字問題も、失業問題も、すべて昨日まで新聞を埋めた記事は、日章旗と銃剣の写真のかげに蔽われた。甲の新聞も、乙の新聞も、日頃の競争と敵意を忘れたかのように同じ報道、同じ主張をかかげている。機関銃の響きは、南満州のみならず、内地の言論機関をもその統制下においたかのごとく見える。そして十五億の投資、百万の在留邦人、三百余りの懸案等の問題を、文字に代って、人々の頭に叩き込む力強いハンマーの役割を演じている。
 戦争防止の力を婦人の平和的本能に求めようとすねお上品な運動もひっきょう平和時代の遊戯にすぎない。婦人は平和を愛し戦争を憎むにしても、その社会的、集団的訓練は、自己の属する社会の共同利害のため、すなわち正義と信ずることのために、自己の私的利害、私的感情を犠牲にするだけに、根強く培われてきている。いつの世、どんな社会にも、戦時における婦人の犠牲的、殉職的態度に見られぬということはない。彼女たちは、正義のために、共同利害のためは、子に傾け尽くすと同じ熱情と感激をもって、その子を戦争の祭壇に捧げて悔いないのである。単純な、本能的な母性愛や平和な家庭生活への執着は、より大きな、集団の共同利害の前には、いつでも犠牲にされるだけの用意がある。

山川菊栄「山川菊栄評論集」

2016年12月31日土曜日

神は盲従を要求する専制君主

 もと無意識的に行われた風俗習慣が神の命令として意識的に守るべきものとなり、その上ますます煩雑なる規定を加えるに至っては、律法の宗教的意義は問題とならざるを得ない。モーゼの五書を始めとしてその問題を解決せんとする企ては全くなかったではない。しかし数限りなきそれらの規定に一々合理的説明を与えんは到底不可能であった。とどのつまりユダヤ人の与え得る答えは、単に神の意志だから、神の命令だから、というに過ぎなかった。
 かくして神は、ただ否応なしに盲従を要求する専制君主となった。宗教は服従となった。「死人が不浄なるに非ず、水が浄むるにも非ず、神が律法を定めたるなり。書き記されたる神の命令は何人も破るに能わず。これ律法の命ずるところなり」という、第一世紀後半の有名なる学者ヨナタンの言によっても、またおのが敵なる祭祀らを肥すのみと知りつつも神殿に対する納税をきわめて厳密に実行したるパリサイ人らの振舞を見ても、ユダヤ教の精神は明らかである。敬虔ふかきユダヤ人が、かこたず、つぶやかず、解すべからざる神意に従順なりしその真面目なる態度は、少なくとも吾人の同情に値する。
 しかれども惜しいかな、宗教的生命の萎縮はその必然的結果であった。内容そのものに価値あるのではなく、命令という形式のみが大切である以上は、宗教は勢い、機会的形式的となり、ただ外形にのみ拘泥して精神を没却し、ついには内部の生命の枯れ果てた遺骸となりやすい。体裁、見え、偽善などのはびこったのは自然である。

波多野 精一「基督教の起源」

2016年12月29日木曜日

先頭と後方に最強者と中間は最弱市民

  「だがそれは」とソークラテースは言った。「将軍学の一小部分に過ぎぬ。なぜかというと、将軍は戦争のための軍備一切をととめえ、そして兵士たちに糧食を供給できなくてはならなぬし、それから奇策縦横で活動的で注意細密でなくてはならず、柔和でるとともに残忍であり、率直であるとともに策謀的であり、用意堅固であり攻撃的であり、その他たくさんのことに、あるいは生まれながらに、あるいは学習によって、参軍を率いんとする者は練達しててなくてはならぬ。軍列の配備に長ずるのはもとより良い。なんとなれば軍隊は陣列の見事に配置されたのは、でたらめなのとくらべて、大変なちがいだからだ。それはあだかも石と煉瓦と木材と瓦とが乱雑に投げ出されてあるのはなんの役にも立たないが、これに反して、腐ること崩れることのない石と瓦とが下と上に配置され、中間に煉瓦と材木とか、建築におけるごとく組み立てられると、そのときはまことに価値のある財産、家が出来上がるに等しい。」とソクラテースは言った。
 「そうです」と青年は言った。「ソークラテース、おっしゃるとおりです。なぜと言って戦争ではもっとも強い兵士を先頭と殿にに配置し、中間にもっも弱い兵士を入れ、こうして先頭にみちびかれ殿に追い立てられるようにしなくてはならないからです。」
 「そうだ、もし彼が優秀な兵士と劣等な兵士の見分け方を教えたならそれでよい。しかしそうでなかったなら、君の学んだことがなんの役に立つのか。たとえば、もし将軍が君に命じて、もっとも上等な銀貨を先頭と殿とにおき、中間にもっとも下等な銀貨を入れるように言って、真物と贋金との鑑別を教えなかったならば、君はなんの役にも立つまい。」とソークラテースは言った。

クセノフォーン「ソークラーテース」の思い出

2016年12月26日月曜日

むごたらしく非人間的な獄門と成敗の死刑

 徳川時代の司法権は各藩がもっている。ーしたがって刑法にも、藩ごとの掟がある。だが、死刑だけは、幕府の許しがないと執行できなかった。その死刑にも階級があった。会津藩の掟でみると、一番軽い死刑は「牢内打首」とよばれた。牢内の刑場で首を斬る。庶民には見せないのである。エリザベス朝のイギリスでも、ロンドン塔の中庭で首を斬られるのは、死罪にたいする軽い扱いであった。ロンドンの塔の死罪で一番軽いのは絞首であったが、徳川時代には、絞首はない。そのかわり一刀で、ばっさりと斬る。ロンドン塔の打ち首は斧で打ちおろされた斧でするのである。エリザベス女王の寵臣エセックス伯爵が彼女自身の判決で処刑されたとき、発止と打ちおろされた首斬人の斧は、三度目にようやく首を落とすことができたとつたえられている。
 「牢内打首」より一段と重い死刑は、牢内打首と同じ段取りで打った首だけをさらに梟首するもので「獄門」よばれるのがそれであった。多くの藩では竹三本を三股にむすんで、その股に首をはさんだものだが、会津藩では五寸角ほどの材木を高さ六尺ほどに二本建て、そのうえに三尺ほどの横木に鉄釘をうったのに首をうったのに首をさして曝した。この獄門よりもひとつ重いのが、「成敗」であった。
 成敗は牢内仕置場で執行される死刑の最も重いもので、刑場には三角形の「土壇」を築く。罪人ほ裸にして右脇を土壇に当て、右手は土壇に立てられた竹に縄でしばりつけ、左手は助手が引っばっている。そして正面かせ、罪人の左肩から右乳へかけて斜めに「袈裟斬り」わする。これがすむと別の土壇に捉えて首を刎ねる。ついでその首を土壇に埋め、額だけを露出させ、二人の刑手が板の両端をもって首の頭上を抑えている。その露出した額をやりで三カ所突いて、首を洗って獄門にかける。成敗か単なる獄門かは、額の傷でわかるのである。

服部 之総「黒船前後・志士と経済」

2016年12月24日土曜日

我が国体に特種の意義がある

 古来歴史上に現われている人物は、善かれ悪しかれ、社会の水平線上に出でた人々である。さりながら現代の栄枯盛衰が必ずしも公平を保たれないように、歴史上の人物にもまた幸不幸があるのを免れぬ。階級的社会においては、いわゆる人物は上流の貴族であるとか、武士であるとか、ないしは僧徒等に偏しておって、その時代に劣等視された百姓町人等にはたとい相当の人物があっても歴史に現れない。
 また中央集権の世の中では、地方の人物はとかく中央の歴史に載らぬがちである。同一の事業でもそれに先鞭を着けながら成功しなかったものは聞こえぬ代わりに、その功を収めた人が盛名をほしいままにする。されば歴史上に現れた以外に人物がないと思うのは以てのほかである。歴史家は常にこの点に注目して遺漏なきを期せねばならぬが、別けても地方の人士はその地方の隠れたる人家を表彰する義務がある。さすればまた地方の人物と違って印象も深く、地方の人心に影響し風教に被補することも鮮少ではあるまい。近時各地に行われる先人頌徳の事業はこの点において意義ありというべきである。そもそも祖先を崇拝することは我が国体において特種の意義がある。

三浦 周行「新編 歴史と人物」

2016年12月22日木曜日

危険と死を収穫する人々で君主の富と勢いが強まる

 アジアとヨーロッパの住民の性質・体格の相違については以上のとおりである。住民の無気力と勇気のないことに関してであるが、アジア人の方がヨーロッパ人よりも戦闘的ではなくて気質が温和であることの主要原因は、その諸季節が暑熱、寒冷のどちらでも激しい変化を示さず、平均していることである。すなわち精神の衝撃や身体の激しい変調がおこらないから、気質が始終同一の状態に保たれずに猛々しくなったり無鉄砲や勇猛になる、ということがないからである。あらゆる物の変化にこそ人間の精神を掻き立てて平静をゆるさないものである。
 思うにこの理由によってアジアの諸族は柔軟なのであるが、他に制度もこれに役立っている。すなわちアジアはその大部分が王の統制下にある。人間が自分自身を統治せず、独立ではなく専制君主の下にあるところでは、人々は武勇を練ることよりも、かえって戦闘力ををもたないように装おうと努める。両者の危険はくらべものにならないからである。君主のために軍務に服し労苦をなめ死をおかし、妻子その他の身内と鑑別することを強いられるであろう。彼らのなしとげるて手柄と武勲によってその富が増大し勢いが強まるのは君主たちであり、危険と死を収穫するのは彼ら自身である。
 さらにまた、このような人々の土地は戦争と放置によって荒廃させられるのである。だからして、よし生来勇敢で元気のある者までも、制度によっては気質が変化するものである。そのはっきりした証拠は次のとおりである。アジアにいるギリシア人にせよ異邦人にせよ、専制君主の下になくて独立し、自分たちの利益のために労苦する人々は、あらゆる人々のうちでももっとも尚武である。彼らは自分たち自身のために危険をおかすのであり、その武勇に対する褒美も自分たちが得、その卑怯な振舞いの罪も自分たちが受けるからである。

ヒポクラテス「古い医術について」

2016年12月19日月曜日

純蒙古人は無分別と頭がないと往々非難する

 しかし、私はなおまた日本において見る種類の人間を、特にここで見る三種の中の一つー即ち低い扁平な鼻を有った純蒙古人種なる、それ自身においては決して美しいとは言われない、しかも私にはきわめて同情のできる、聡明な、快活な、人懐っこい、温情のある、そして同時に抜け目のない人間を見ることのできないのが物足りないであろう。これらの人々を私は常に自分の側に置いておきたいと思う。家人または同居人としては、私は彼等よりもさらによき、さらに物静かな、さらに要求するところ少きかついずれの点においても気の置けない人間を知らない。
 日本人が往々外人やまたは彼ら同士を満著したり、欺いたりするようなことがあってもーそれも大抵些細な事であるー、それくらいの事は言うに足りないではないか! その遣り方もきわめてナイーヴである、そして日本人はその欺瞞的行為を隠蔽したりもしくは弁解せんと努めるようなことは少い、それであるから日本人に対して真面目に腹を立てるなどということは実際できないのである。ーそれから病人の世話をしたり看病したりするには、日本人は、その親しみのある性質と、その辛抱強いことと、その優しいかつ器用な手先の故に、まさに理想的に完全なる資格を具えている。
 日本人は忘恩だ不信だと言って往々非難する者がある。私が私の日本においては経験しなかったところである。私はむしろその反対を経験した。更にまた私に対して感謝の心を失わずかつ忠実であるのみならずー私は日本人が義務に忠実なることを発見した。日本人にしても忘恩や、不信や、更に進んでは意地悪の観を呈する、もしくはそう解釈されうるような行為があるとしても、それは、精察すれば、日本人が物の感じ方、ならびに感じの表し方において我らとは多くの点において異なっているということ、日本人が西洋の習慣を知らざること、もしくは無分別と無思慮すなわち頭のないにほかならないからである。

ラファエル・フォン・ケーベル「ケーベル博士随筆集」

2016年12月17日土曜日

邪悪に委ねた高位や勢力は害悪を与える

 さて高位や勢力に関しては、私は何を語るべきであらうか。まことの高位やまことの勢力を知らないお前たちは、これらを天に比しても尊んでいる。しかしこれらが、最も邪悪な人々に委ねられたとしたなら、如何なるエトナの噴火が、又如何なる洪水が、そのように大きい害悪を与え得よう。お前も思い出すことであろうが、たしかにお前たちの祖先は、自由の起源であった執政政治を、執政官たちの傲慢の故に廃止しようと望んだ。又その以前に於いて、同様の傲慢の故に、彼等は王の称号を国から追い払った。だが高位や勢力が正善な人々に委ねられる(それは極めてまれにしかないことだが)としたなら、その際立派なのは、その高位や勢力の保持者の正善以外の何物であらうか。すなわち、徳が位のために尊ばれるのではなく、逆に、位が徳のために尊ばれるのである。
 一体、お前たちが望んでいるその輝く勢力とは如何なるものであろうか。おお、地上の生物よ、お前たちは誰が誰に対して支配することになるかを考えないであろうか。もし数匹のハツカネズミの中にあって、或る一匹が他に対し権利と勢力とを潜するのを見たとしたら、お前はどうな哄笑に誘われることであろう?
   ところで、肉体を顧みる限り、お前は人間より弱い何物も発見し得まい。小さいハツカネズミに噛まれても、また毛虫や蛇が体内に入り込んでも、しばしば死ぬのだから。だが、或人が他の人に対して或る勢力を振る場合、どうしてその肉体と肉体に従属するものー換言すればその人の外的所有物ーとに対して以外に之を及ぼすことが出来ようか。お前は、自由な精神に向かって何事かを命じ得るであろうか。お前は、確固たる理性に従って自己統制のとれている精神をその本来の平和状態から掻き出すことが出来るであろうか。かつて或る暴君が、或る自由人に対し、拷問をかけることに依って、自分へ企てられた陰謀への関与者を白状するように強制しているつもりでいたところが、その自由人は舌を噛み切って、猛れる暴君の顔へそれを吐きかけた。こうして、暴君がその残酷さを示すようすがと考えていたところの拷問を、賢人は却ってその徳を顕す機会となしたのであった。

アニキウス・ボエティウス「哲学の慰め」

2016年12月16日金曜日

戦争・恐怖・麻痺・奴隷状態は信念を消し去る

 人間の風刺喜劇、戦争、恐怖、麻痺状態、奴隷状態ーこういうものが君の神聖な信念を日に日に消し去ってしまうであろう。これらの信念は、自然の探求者として君が抱懐し、受け入れたものだ。だから君はつぎのようにしなくてはならない。すなわちなにを見るにもおこなうにも、目の前の務めを果たしながら同時に思索の能力を働かせるように心かげけ、各々の事柄に関する知識からくる自身を人知れず、しかしわざわざ保ち続けることだ。
 いったいいつ君は単純であることを楽しむようになるのであろうか。いつ品位を持つことを?また個々の物に関する知識、たとえば本質においてそれがなんであるか、宇宙の中でどんな場所を占めるのか、どのくらい間存続すべく創られてするか、それを構成するものはなにか。誰に属しうるものであるか、それを与えたり奪ったりすることのできる人々は誰か、等の知識を楽しみとするようになるのはいつだろうか。
 隣の枝からきりはなされた枝は、樹全体からもきりはなされずにはいられない。それと同様に、一人の人間から離反した人間は、社会全体から落伍したのである。ところが枝は他の者がこれをきりはなすのであるが、人間のほうは。隣人を憎み嫌うことによって自分で自分をその隣人からひきはなすのだ。しかも彼はそうすると同時に共同社会の全体からも自分を削除したことを知らないのである。ただしここで注意すべきことはこの共同体の創設者であるゼウスの神が与え給うた賜であって、そのお陰で我々は再び隣の枝に結合して全体として完全なものに復することが許されているのである。しかしこういう離反がたびかさなると、はなれた部分がふたたび結合して元どおりになるのは難しくなる。一般にいうと、最初から樹とともに呼吸し続けた枝は、ひとたびきりはなされ、後にふたたび接木された枝とは違う。これは庭造りたちのいうところである。だから同じ幹の上で成長せよ。ただし意見は同じうしなくともよい。

マルクス・アウレーリウス「自省録」


2016年12月12日月曜日

帝国主義は愛国心を経となし

 我国民を膨張せしめよ、我版図を拡張せよ、大帝国を建設せよ、我国威を発揚せよ、我国旗をして光栄あらしめよ。これいわゆる帝国主義の喚声なり。彼らが自家の国家を愛するや深し。
 英国は南阿を伐つてり、米国は比律賓を射てり、独逸は膠州を取れり、露國は満州を奪えり、仏国はファショダを征せり、伊太利はアビシニアに戦えり。これ近時の帝国主義を行うゆえんの較著なる現象なり。帝国主義の向かうところ、軍備、もしくば軍備を後援とせる外交のこれに伴わざるなし。
 然りその発展の跡に見よ、帝国主義はいわゆる帝国心を経となし、いわゆる軍国主義を緯となして、もって織り成せるにあらずや。少なくとも愛国心と軍国主義は、列國現時の帝国主義は、列国現時の帝国主義が通有の条件たるにあらずや。故に我はいわんとす、帝国主義の是非とりがいを断然と要せば、先ずいわゆる愛国心といわゆる軍国主義に向かって、一番の缺格なかるべからずと。
 しからば即ち、今のいわゆる愛国心、もしくば愛国主義とは何者ぞ、いわゆるパトリオチズムとは何者ぞ。吾人は何故に我国家、としくば国土を愛するや、愛せざるべからざるや。

幸徳 秋水「帝国主義」

2016年12月10日土曜日

大衆は戦争の英雄を拍手喝采する

 だれもが欲しがる宝石がはるか沖合のたいへん薄っぺらな氷の上にあり、生命の危険という番人が「もうすこし騎士の近くなら氷は底まで凍っていてまったく安全なのだが、こんな沖合までやってくるのは命がけの冒険だぞ」と監視の目を光らせながら宝石の見張りをしているとしてみよう。
 その場合、これが情熱的な時代であれば、そんな沖合まであえて出かけて行く勇気は大衆の喝采を博することだろう。大衆はその勇者の身になって、またその勇者を哀惜することだろう。ところが情熱のない反省的な時代にあっては、事情はまったく違ってこよう。「あんな沖の方まで危険を冒して出ていくなんて、骨折り損というものさ。だいいち、愚かで滑稽だよ」とみんなが異口同音に言い、分別顔をしてお互いの賢明さをお互いに称賛し合うことだろう。こうして人々は感激ゆえの冒険を芸の展示に変えてしまうだろうー「所詮、なにかしないわけにはゆかないのだから」とにかくなにかをしようというわけで。そこで人々はその場へ出かけて行くだろう、安全な場所で、玄人ぶった顔つきをして、熟練したスケーターたちの大多数がぎりぎりのところまで滑走して行って、それからターンして引き返す巧みな演技を鑑賞することだろう。スケーターたちのなかには、名人といわれるような者も一人や二人は居合わすことだろう。そういう名人ならばもういよいよぎりぎりというところまで行って、観衆の目を眩ますような危機一髪の滑走の離れ業をやってのけ、観衆をして思わず、「たいへんだ、気でも狂ったのか、死んでしまうぞ」と呼ばせることだってできるだろう。
 しかしなんと、彼は実に抜群の名手なので、いよいよぎりぎりという線で、つまり氷がまだいたって安全で生命の危険がまだ始まらないところで、あざやかにターンすることができるというわけだ。まるで芝居でも見ているのと同じように、大衆はブラボーを叫び、拍手喝采し、この偉大な演技の英雄を中央にかこみ、ぞろぞろと行列をつくって家に帰ることだろう。

セーレン・キルケゴール「現代の批判」

2016年12月8日木曜日

永遠の戦争は市場の優先権を争う

 古への封建君主は、農夫が其収穫の四分の一を領主に納むるに非ざれば、一塊の土を掘返すのも厳禁した。吾人は之を見て恥辱と呼ぶではないか。然り吾人は実に此時代を以て未開の時代と呼で居る。而も見よ、其形式は変じても、実際の関係は以前今日に存続した。労働者は自由契約の名の下に、猶ほ封建的義務を承諾せねばならぬ。彼はいずれかの方角に向かっても決して優等の境遇を発見することは出来ぬ。万物尽く私有財産となった、彼は承諾せねばならぬ、否ずんば餓死せねばならない。
 事情如此くなるの結果、現時の生産は総て不良の方向に赴くこととなる。企業はあたかも社会全体の必要てふことを考えぬ。其の目的は唯だ投機師の利益を増すてふことのみである。而して来る者は即ち市場の不断の変動、工業の時々の恐慌、其度毎に幾万人の労働者は路頭に迷う。
 労働者は其賃金では、彼等自身が生産した富を買うことができぬ。工業は即ち外国の市場を求めて他国民の富裕階級中に販路を得ねばならぬ。東洋において、アフリカに於いて、エジプト、東京若しくはコンゴー、到る処に欧州人は斯くして農奴制の発生を助長することとなる。而して彼は其を断行する。而も彼はまた到る処に同様の競争者のあることを発見する。いずれの国民も皆な同一の経路に展開する。而して戦争、永遠の戦争は、市場の優先権を争うが為に破裂する。嗚呼、東洋諸国を有せんが為の戦争、海上帝国を建設するの戦争、輸入品に課税し及び隣邦に条件を指令するの戦争、反逆せる『黒人』に対する戦争! 世界に大砲の響き絶ゆる間はなかった。幾多の種族は尽く屠戮せられて跡を絶った。欧州諸国は軍備の為に予算の三分の一を費やしている。而して吾人は知る、是等の租税が如何に重大なる負担を労働者の頭上に落下し来るかを。

ピョートル・クロポトキン「麺麭の略奪」

2016年12月6日火曜日

戦争は種の異同ではなく政治である

 ことに従前白人が抱いていた有色人種のごときは、我々は自ら学ぶことによって、これにかぶれるのを予防することが大切である。黄色という類の人種差別などは、考えれば考えるほど怪しいものだ。彼らの謂うところの蒙古人とはぜんたい何であるか、韃靼はヨーロッパに入って今の露国人の要部をなし、ラップやフィンも早くからその一隅に住んでいた。ハンガリア人はアリアン種の真中に国を作り、血は半ば化して言語と思想には古い伝統を保っている。その他東方から遠く移って、末は混同したものの痕跡は、今でも尋ねたら次第に分かってくる。これと対立してペルシアにもインドにも、もと白人と同種と称する人民が多数にいて、これまた甚だしく差別されているのである。
 血は到るところ混同し、宗教もまた大いに入り交ろうとしている。要するに種族の抵触は政治であって、種の異同に基づくものではなかったのである。翻って白人彼ら自身の国を見ても、大陸の種族は横にほぼ三段に分れ、国は河流山脈などに由って、かえって縦に分解せられていた。
 即ち人種は共通なるにもかかわらず、ドイツ・フランスなどと政治的に対立すると、殺し合わなければ承知しなかったのである。結局はいかに顕著なる人としての共通点があろうとも、依然として以前の民族は相闘争していたということを見だすのほかないのである。
 この悲惨な状態は、不幸にして現在まで続いた。我々が白人の跋扈と名付けたのも、じつはたんに白人の国の中にばかり、跋扈しうる力のある国があったということを意味づけるだけである。前には班葡蘭英仏、後には白独米などと、要するに一時覇をとなえた一または二の国民のみが、その威力を各方面に振ったまでで、抵抗力のことに弱い擁護者の一人もなかった遠洋島上の土人らほどひどい目に遭っていないが、近隣の国民たちもむしろ大か小か被害者の側に立っているくらいである。たとえば東ヨーロッパのあわれな住民などは、我々の目から見ればひとしく白人だが、有色人をいじめ殺した責任は、他の大国民と分担するわけに行かぬのみか、彼ら自身もまた被害者の中である。

柳田 国男「青年と学問」


2016年12月3日土曜日

認識の有用性から生存競争の自然淘汰

 賢明にして最も多く論理的に思索する人間は、生存競争においてその競争者に優越する。かかる特質はかくして自然淘汰の一つの基礎となり、それが可能となるかぎり強さをもって種全体の上に拡がるに至るまで、それは高まってゆく。したがって、認識の有用性こそはその支配の基礎である、というのである。仮にこうした考えが正しいとしても、これはここに試みられた考察を代理するものではない。このことは次の二つの点から言われることである。
 けだし、まず第一に、この説は正しい思惟に基づいた行為の有用性を既成の事実として語っているが、われわれはここでは、真と名づけられた認識と高められた生の可能性とのあいだに存在するであろうつながりを、今ようやく探究しようとしているところなのである。この説は、認識の真実性ということを、認識そのものの有用性から原理的に切り離して、認識の一つの独立的な性質として前提しているのであるから、このもっぱら主観的的のみ規定された認識が、いったいどうしてわれわれの現実の存在に有利な行動を基礎づけることができるかという困難は、以前この説にまといついているわけである。したがって、元来認識はまず真でしかるのち有用なのではなく、まず有用でしかるのち真と名づけられるのである。
 第二に、ぜんぜん実践を顧慮せずに純粋に理論的な認識をかち得ることがまず原理的に可能であり、かくしてはじめからかかる認識の獲得が実践の問題となるものと仮定すれば、おそらくまさにそれゆえこそ、あの客観的世界像に基いていかなる行動をなすべきかについては、さらに特別の経験を必要とするであろう。
 理論的に正しいことをあらわすもろもろの行動のあいだに、主観的な行為神経興発がそれに基いて多かれ少なかれ有利に起こり得るような見地から、新たな淘汰が行わなければならない。なぜなら、たとい世界の全体像が、絶対的な経験的な正しさにおいて私の前に拡げられているとしても、私が意志者であるかぎりは、これによって私自身の態度がはじめから決定されることは断じてない。

ゲオルク・ジンメル「芸術哲学」淘汰説と認識論との関係について

2016年12月1日木曜日

召使いと奴隷は戦争になると軍に編入

 マスリウスが言うには、「クテシクレスの『時事録』によると、前310年頃にデオメトリス(前4-3世紀)がアッティカの人口調査をして、その結果アテナイの人口は2万1000、居留外国人は1万、奴隷は40万だとわかった。クセノポンが『租税論』で述べているように、ニケラトスの子ニキアスは1,000人の奴隷を所有していて、これを鉱山の鉱夫としてトラキアのソシアスに、1人1日オボロスの割で貸した。アリストテレスは『アルギナ人の国制』の中で、アルギナにも47万人の奴隷がいたと言っている。アガルタルキデス(前2世紀)は『エウロパ』の第38巻で、ダルダネイス人は、ある人は1,000人、・・・、ある人はそれ以上の奴隷をかかえていたと言っている。これらの奴隷は、平和時には農業に従事し、戦争になるとそれぞれの主人を隊長として軍に編入された。」
 ローマ人の役人であるラレンシスが言った、「ローマ人もそりゃたいへんな数の奴隷をかかえている。いままったく、ギリシアのお大尽のニキアスじゃないが、一万とか二万とか、あるいはもっとかかえているものがいる。ただ、大方のローマ人は、外出する時いっしょに連れていくんだ。アテナイの方をもって数える奴隷というのは、囚われの身で鉱山で働くわけだろう。さっきから何べんも引き合いに出されている哲学者のポセイドニオスだが、彼によると、アテナイの奴隷たちは反乱を起こし、現場監督を殺し、スニオン岬のアクロポリスを占領し、長い間アッティカを略奪した。これはまさに、シシリー島で第二の奴隷の反乱が起こった時だ。シシリーでは反乱が何度も起きて、百万以上の奴隷が死んでいる。この島のカレ岬出身の弁論家カキリウス(前1世紀)は奴隷戦争を扱った著作を公にした。また剣闘士のスパルタはミトリダス戦争の頃、イタリア人の都市カプアから逃亡して、非常に多くの奴隷たちに反乱を起こさせ(彼自身トラキア出身の奴隷だった)、全イタリアを長期間その渦に巻き込んだ。そして彼のもとへは毎日奴隷が川の流れのように集まってきた。もし彼がリキニウス・クラッススとの戦闘で討ち死にしなかったなら、シシリーのエウヌスの場合のように、わが同胞は大汗をかいたことだろう。

アテナイオス「食卓の賢人たち」

2016年11月29日火曜日

悪の表出は必要をみたす手段の不足

  実際問題の例にかえろう。どういう方法で人間が全となり、世の中で悪人がごく僅かになり、アクをなす場合が非常に少なくなり、其の結果、アクの性質があらわれるもっとも多い原因は必要を満たす手段の不足である。人間は自分に必要なものなしでいたくないために、他から何ものかを奪わねばならない時、犯罪やその他の悪行が法外にふえる。人びとは一片のパンのために互いに辱しめ、あざむく。心理学はさらに人間の欲求はその強さによって多種多様の段階に分かれることをつけ加える。あらゆる人間のオルガニズムにもっとも切迫した必要は呼吸しなければならないことになる。ところがこれを満たすに必要な対策は、殆どすべての場合人間にとって十分にあるので、空気にたいする必要からは殆ど何処でも悪行はおこらない。しかし、この対策が万人に十分でないという例外の場合には、おなじように争いと侮辱とがおこる。
 たとえば大勢の人間がただひとつしかない窓のない部屋に閉じ込められると、この窓のそばの場所をとろうとして、殆どつねに争いと掴み合いがおこる、殺人さえおこりかねない。呼吸の次の切迫した必要は食べるととのむことである。この要求を十分に満たすための対策は、しばしば、多くの人間にとって不足している。この不足が大多数の悪行の根源であり、悪行の恒常的原因となっている殆どすべての事情や制度の根源である。この悪の原因の一つをのぞくことができれば、人間の社会から少なくとも悪の十分の九は消えてしまうだろう。犯罪の数は十分の一に減るだろう。粗野な習慣や考え方は一時代の経過のうちに人間的な習慣や考えかたでとってかわられるだろう。蛮風と無知とにもとづく拘束的な制度の支柱は取り去られるだろう。そして殆どすべてのの拘束が速やかになくなってしまうだろう。理論のそのような指示を実行するのには技術が不完全だから不可能だと以前では言われたものだ。このことが昔では正しかったかどうか知らないが、現在の工業と化学の状態と、これらの学問が農業に与える手段とのもとで、土地は温帯の各国では、これらの国の現在の住民の十倍も二十倍もの人口がたっぷりと食べられるのに必要な食料より比較にならないほど多く生産できることは論争の余地がない。

ニコライ・チェルヌイシェフスキー「哲学の人間的原理」

2016年11月27日日曜日

広島原爆は世界の涙をのむ

   私達は比治山にのぼって、山の防空ごうに入りました、その途中父は、方々の家の屋根や、植木などに萌えている火を、水そうの水をかけて消してゆきました。しかしそんなことでは、とうていかなうことではありません。又その途中で、いく人か死んでいるのを見かけました。そのたびにごとに私は胸がつまって、とても見ていられませんでした。しかしだんだんと山をのぼっているうちに、たくさんの死人がごろごろしていたので、どうしても見ないわけにはゆきませんでした。その中には、私の知っている人もだいぶいました。やっと山の防空こうにたどりついたのですが、やはり父はおちつかないらしく、下の方へおりて行きました。まもなくバケツに水を入れそれにひしゃくをつけてあがってきました。山にのぼる途中でもう息もたえだえになって、「水をくれ、水をくれ。」と叫んでいる人々に役人が「水をやってはいけない。」と言うのもかまわず一口ずつ入れてやりながら、あがってきたのです。「どうせ水をやっても、やらなくても死ぬ人なら、ほとがる水くらいのものはやってもいい。」というのが父の考えでした。私も又父の考えがもっともだと思いました。
 山の途中のほら穴は、とても入ることのできるような穴ではありませんでした。けが人でいっぱいで、もう死んでいる人もたくさんいました。穴の中は真っ暗で、やけどや、きずの生々しいにおいで、息もつまりそうでした。頭の上ではぶんぶんとたくさんのアメリカの飛行機がとんでいます。そして今にもばくだんをおとしそうな気がして、一時もぐずぐすしてはいられません。しかしあとで分かったことですが、それらの飛行機はあの原爆を落とした後の有様はどんなかと、ていさつに来たのだということです。その時のあのむごたらしい様子を空から見て、アメリカ人はどう思ったでしょう。いかにわれわれの敵であったとはいえ、なみだをのまずにはいられなかったと思います。

山村百合子(広島原爆の当時小学校三年生)

「原爆の子ー広島の少年少女のうったえ」(長田新編)


2016年11月25日金曜日

来世就来世いつの戦争の終わり

 歳暮珍重候。扨もさても天下一変の後、音信不通、旦夕床しく候。かやうにうつりかわる世の中とは、誰しも思ひながら、様々おはれとも申ても申しても叶わぬ事共、夏より己来候。心のままなる友もあらまし、目に見る有様も語り、慰めもあるべき、世の中の人は、富貴栄華の物語より外なく候得は、更々我等式の類ひは、独り無常の窓に向ひて、独言いふて暮す計に候。
 内々此冬は、都にも住馴ぬれは、いかなる山の奥へも分入、野狸子をふすへて、春を待へきかなと思ひより候まま、若は其國湯山温泉寺奥なとに、人知れす隠れ住をもし、ひとりには、かくしかくし下の浜なとへ立出て、語りあかし可申かなとと思ひ候得共、一日一日のうちに、後々寒という貧僧のかたき出頭せられ、何方へも可達出様候はねは、心のままにも任すへからす候。
 捨てだに此世の外はなきものをの、こころひとつをなくさむ計候。道もかはき、暖のもなり候はは、出石をも深く忍び、湯山邊へ、卒度可参候。たとへは、人界は水を釣瓶の事如し。くりかえしくりかえし、事の底にめくるか如し、鳥の林に遊か如し、帰りてはゆき、行きては帰り、前生また前生、何れの世より、うき世をめくるつなにかかり、今よりまた来世就来世いつの終わりを知るへきや。
 此理を知りなから、うけかたき人身を得、あひ難き仏方にあひ、むさむさとやみの夜におくり果へきや。此たひあひかた法にあひ、一つの心をさとり、真如の至りを宗にすまし、長夜の闇を照し、三無負可得の心を心の外に得て、在家の女人を帯しなから、正覚のくらいに到るへき事、思はさらめや、あとの悔からへらぬは、元の水のごとし、惜みても。

沢庵 宗彭「沢庵和尚書簡集」

2016年11月23日水曜日

戦場武士の忌まわしき殺生

 小林義繁討死 小林上野守は、未馬にてひかえたりけるが、切り落とされては犬死しぬとおもひければ、権大夫を弓手に相付、駆寄て鐙をこえており立たり。鍔本まで血に染たる太刀をめ手の方に引そばめて、義弘に打てぞかかりける。権大夫は敵を小太刀と見たりければ、手もとへ近付けて勝負をせんとやおもひけん、長刀を茎みじかに取なをして、弓手の袖をゆりかけてこそ待たりけれ。義繁走かかてきらんとするに、更にすきなかりければ、元来小林手ききなれば、小膝を折て袖の下へあげ切に、すきもなく二太刀つづけて切たりけり。其太刀に権大夫弓手のかなを二ケ所きられて、今は物あひよしと見てんげれば、長刀を取なをして腰当のはずれ、内甲へすきまにあたれとこうだりけり。小林運命やつきたりけん、ほうあてのさげを、甲のしころへすぢかひさまに、こみ立られて、更にはたらきえざれば、其長刀を切はぞさんとふりあをのひで、仏切に二太刀・三太刀うつ処を、長刀を取なをして脛当のはずれをよこさまにしたたかにこそ切たりけれ。因幡はいだてのさねともに、片股をかけず切て落す。小林心はやたけにおもへども、片股なければ北枕に倒臥す。弓手の手をおさえて暫は太刀にて合けるが、次第によはりてみえければ、権大夫の兵落合て、頸をとらんとしける処を、草摺を取て引よせて、さしちがへて二人ながら同枕に死にけり。義繁己に討れければ、小林三郎一族若当七八騎合重て、義弘を真中に取り籠て、今はさてとみえける処へ、杉豊後・同備中・須江美作・平井入道分々合たる敵を打ち捨て、権大夫を先途と長刀を取のべて、小膝にのせて仏切にないでまわりける真中へ、皆みな走入て敵をむずと切へだてて、散々に闘ける処に、大内が兵大勢重てとりこめて、戦ければ、敵八騎の兵も矢庭に五人は討れにけり。

「明得記」(明徳二年十二月)


2016年11月21日月曜日

イスラエル王国の撲滅と惨劇

 ペリシテ人はイスラエルと会戦し、イスラエルの人達はペリシテ人の前から敗走してギルボア山に至り傷つき倒れた。ペリシテ人は、サウルとその子らに追いつき、ペリシテ人はサウルの子らヨナタン、アビナダム、及びマルキシュアを殺した。戦闘はサウルに向けられ、遂に的の射手は弓をもってサウルを射当て、サウルはその射手によって甚く傷ついた。サウルは彼の武器を担ぐ従者に言った、「剣を抜いて、わたしを殺してくれ。これらの割礼なき者がやって来て、わしを辱めないように」。しかし従者は甚く恐れて、敢えて手を下そうとしなかった。そこでサウルが死んだことを見とどけ、自分も又彼の剣の上に倒れてサウルと共に死んだ。かくしてその日、サウルとその三人の子、サウルの従者は共に戦死した。谷の向こう側とヨルダンの窪地にいたイスラエルの兵士たちは、イスラエル勢が敗走し、サウルとその子らが戦死したのを見て町々を捨てて逃げ去った。ペリシテ人はやって来てその町に住んだ。
 翌日ペリシテ人は闘いに倒れた者に対する略奪の為にやって来た。そうして、サウルとその三人の子らがギルボア山上で戦死しているのを発見した。彼らはサウルの首を刎ね、その武具を奪い、それをあまねくペリシテ人の地に持ち回って、この戦勝の知らせをその偶像と民とに伝えさせた。又、サウルの武器をアシタロテの身やに納め、その死体をそのペテンシャンの城壁に曝した。
 ヤベシ・ギレアデの人々が、ペリシテ人のサウルになしたことを聞いた時、総ての武器をとる者達は、立ってよもすがら進み、サウルの死体とその子らの死体をペテンシャンの城壁から取り外し、これをヤベシの柳の下に梅、七日間断食した。

旧約聖書「サムエル記」

2016年11月19日土曜日

操で死ぬ道理はない

 だいたい、操を立てて死ぬというほどまちがった考えははない。君も民も一人である。いや普通の民にくらべてまだ未のものなのだ。民と民の間柄でも相手のために死ぬ道理などない。それではむかし操を立てて死んだのはみな当たらぬことだったのか。きっぱり言ってしまえばね事のために死ぬ道理こそあれ、君のために死ぬ道理などないのである。君のために死んだのは、情に溺れた宦官、宮女であり、「律儀ものの愚物だった」。宦官、宮女たるに甘んじた人間や、まさにまとことの愚物の人物については、何もいうことはない。しかし、みんなで推挙したというからには、われわれが推挙したこの者のために自分で死ぬのだ。君のために死ぬのではない、ということはいえる。とはいえ後世の君はいずれも、強大な兵馬で強引に侵略して奪いとったものなので、あたりまえにみんなで推挙したものでないという点は、どう考えるのだ。ましてや彼らは満・漢という種族の意志で天下を奴隷にしている。天下を奴隷にしている彼らとしては、民が操を立てて死ぬのがひどくうれしいのは当然である。
 一王朝の興亡はなどは目にも当たらぬ小さなことで、民にとってなんの関係もない。であるのに操を立てて死ぬものが万で教えるほど、いやそれ以上もあったとは、これほど本末転倒があろうか。白夷、淑斉は死んだのだが(この兄弟は、周の武王が暴君の殷の紂王を滅ぼして天子となったのを不義として、周のものは食わぬと餓死した)、紂王のために死んだのではない。本人のことばに、「暴で暴にとり代えるだけのことなのだ」(暴君を暴力で排除して君となる。『史記』「伯夷列伝」)と言っているところからすると、君主の凶害を閉じてしまったのだ。それにまた、誰か前の君のために死ぬものがあると、後の君はひどくいやがるが、しかも事態がなんとかおさまると(国を奪い安定すると)、たちまち神に祭り、供物をし、祈りをさまたげる。これはやはり、今後も人がわがために死んでほとしいからである。「むかしある男が、(かつて挑んだら、ののしられたことがあった女なら)自分のためにも(いよいよ他の男を)ののしってくれるだろうと妻にえらんだ」(『戦国策』「秦策上})という。志を守って山林に身をひいた土地はいわば未婚のむすめである。これを出仕しろとおどしつけ、出仕しなければ殺した。つまり、不貞だったのだとののしり、操をけがしたしあばきたて、『弐臣伝』「ふたまた者伝」)までつくって辱しめた。これは、当人たちを辱しめるだけでなく、実は反逆させまいと天下後世を威嚇する意味があったのだ。



譚 嗣同「仁学」

2016年11月17日木曜日

神は王や君主ではないこと

 神のことがあっちでもこっちでも言い伝えられたり、これがそうだと見せられたりするものですから、これはみな王や君主の事蹟なのだと考える人々がいます。際立った資質や勢力ゆえに赫々たる成果を挙げたのが、神だという名声によっていっそう輝かしくされた、しかしやがては運命に従わねばならなかったが、その事蹟と経験はいつまでも驚くべき偉大なものとして記憶される、というように。
 ですが、このように説明する人々は、正しい説明をすり抜けて、具合の悪いことは神から人間に移しかえています。そういう例なら言い伝えからいくらでも助けが得られますね。現にエジプト人は、ヘルメスの体は腕が短かったと言っておりますし、テュボンは赤ら顔でホメロスは色白、オシリスは黒かったなどと申しております。まるでこれらの神が本性人間だったのごとくにです。
 それだけではありません。エジプト人はオシリスを将軍と呼び、カノボスを舵取り、船長と呼んでいて、天の星にもこのカノボス(カノプス)という名がついている、そしてその船の方は、ギリシア人がアルゴ船と呼んでいるもので、これはオシリスの船の似像であり、オリオンと犬星(シリウス)からさして遠くない空を航行しているのだと言っております。そして、オリオンはホロスの、犬はイシスの聖なる星だとエジプト人は信じているのです。
 しかしながら、これは「動かすべからざるものを動かす」ことではないかと恐れてますし、シモニデスの言う(断片193)「古りにし時の間に挑む」ばかりではなく、多くの人間の種族、神々への敬虔な気持ちをしっかりと抱いている民族に対する挑戦ではないかと思います。これでは、人類誕生のはじめから、ほとんどすべの人々の胸に抱かれてきた、かくも古き尊き御名を天上から地上に引きずり下ろし、その尊崇の念、敬虔な気持ちを失わせ、また打ち壊すことになりましょうし、神を平面に引き下げることによって、レオン(前4世紀)のような著述家のために広々と道を空けてやり、メッセネのエウヘメロス(ヤコビ『ギリシア歴史家断片集』63T4e)の徒のいかさまに、自由な発言を許すことにより、光輝を添えることになりましょう。このエウヘメロスこそ、自分の手で、およそ信じるに足りぬ、ありもしない神話を作り上げてから、全世界に無神論を撒き散らした人です。

プルタルコス「エジプト神イシリスとオシリスの伝説について」


2016年11月15日火曜日

太平の治世から困窮の乱世

  太平久しく続く時、漸々上下困窮し、それよりして紀綱乱れてついには乱を生ず。和漢古今ともに治世より乱世に移る事は、皆世の困究より出る事、歴代のしるし鏡にかけて明か也。故に国天下を治むるには、まず富豊かなるようにする事、これ治めの根本也。
 管仲が詞にも「衣食たりて栄辱を知る」といえり。孔子も「富まして後教える」とのたまえり。手前困究して衣食たらざれば、礼儀を嗜む心なくなりて、下に礼儀なければ、種々の悪事はこれより生じ、国ついに乱るる事、自然の道理也。
 何程法度を厳しく、上の威勢をもって下知するというとも、上下困究して動く力もなきようになりたる時節に至りては、その動く力もなき所偽りもなく真実なる故、用捨せずして叶わず。ひた物あそこをも用捨し、ここをも用捨すれば、後は法の破るる事になる也。法は国をつなぐ綱なる故、法破れては乱れずという事なし。その法の破るる所を愁いて、その動く力もなき者に用捨をせざれば、畢竟力にかなわぬ事を下知するというものになりて、無理の名を得る故、これまた乱を招く媒也。
 所詮の所皆困究より生ず。国の困究するは病人の元気尽るが如し。元尽きれば病生じて死する事必然の理也。元気盛んなれば、いかようの病気を受けても療治はなるものなる故に、上医は必ず病人の元気に心を付け、よく国を治むる人は古より国の困究せぬようにと心用ゆる事也。ここの境を会得して、国の豊かに富むようにする事、治めの根本也。されば何事も指置きても、当時上下の困究を救う道を詮索せずして叶わざ事也。

萩生 徂来「政談」

2016年11月13日日曜日

イスラームは血塗られた歴史

   イスラム (Islām) という言葉自身、アラビア語としては、すでに語源的に自己痛く、引き渡し、一切を相手に任せること、という意味なのです。つまりイスラームは宗教的には「絶対帰依」以外の何者でもないのです。ですから、ふつうイスラームの信者、イスラーム教徒の意味で使われている「ムスリム」(muslim)という語も、本来の意味は「絶対帰依者」、すなわち已のすべてを挙げて神の心に任せきり、神にどう扱われようとも、敢えて已の好悪は問わぬ、絶対無条件な神への委嘱、依存の態度をいつでもどこでも堅持して放さない人のことです。ついでながらmuslimは、文法的にはIslāmとまったく同じ語源SLMから派生した言葉で、muslimとIslāmとの違いは、前者が能動的分詞形、つまり「絶対に帰依した(人)」の意味、後者が動名詞形、つまり「絶対に帰依することの」の意、であるだけののことであります。 イスラームの長い歴史を通じまして、各時代ごとに衆に優れた第一級の人物と認められた人たち、権威者が『コーラン』解釈の許容範囲を逸脱していると認めれば、ただちに正規の法的手続きを踏んで、それに異端宣告する義務がある。その政治的権力は実に絶大なものです。なぜなら、いったん異端を宣告されたが最後、その人あるいはグループは完全にイスラーム共同体から締め出されてします。イスラム教徒の一切の権利を剥奪されて、「イスラームの敵」語源的には「神の敵」('aduww Allāh)となるのです。「イスラームの敵」になったものの刑は死刑、全財産没収。個人の場合はもちろん死刑。異端宣告を受けたためにどれほど多くの人々が刑場に消えていったか、数えきれません。内面への道を行った人々は、たえざる死の危険に身をさらして生きねばならなかった人たちです。イスラームの歴史は文字通り血塗られた歴史です。

井筒 俊彦「イスラーム文化ーその根柢にあるもの」


2016年11月11日金曜日

政略的に古典的価値を与える

民族的な性格をもっていること

 古典は、その規定において民族的感情から独立しえないであろう。元来古典は、人間の解放、人権の隔離という点で、世界的、世界市民的性格をもっているが、ギリシア古典のような絶対的な意味のもののほかに、各国民または民族の過去において持った偉大な作家、作品に対する尊敬と感情が、それぞれの国民または民族をして国民ないし民族的古典を形成せしめた。
 それは国民的感情や民族的自負の根源に接触するものである。どこの国でもそのような古典をもつことは国民の誇りでなくてはならない。亡国の民や遊牧の民は、そういう古典をもたない。ただしかし、そのような国民古典は、同時に世界古典もしくは人間古典の性格をもっていることが要請される。すでに外国人によって、An addition to the world's classics と認められている。国民的性格をもちながら、その本質まで世界的性格に高められるような作家作品であって、はじめて可能である。他のある特殊な目的のために、政略的な立場から古典的価値が与えられるようであってはならない。そういう古典は、偽われる古典である。国民的なものは、そのまま世界的なものでなければならない。

池田 亀鑑「古典学入門」

2016年11月10日木曜日

戦争で市民は涙を絞り苦しむ

 戦争のために種々の変遷ありたり、戦争ありて、急にこの社会に対した要ありと覚えざる軍人輩が、急に社会に持てるようになるのは言うまでもなく、軍備の拡張せられたる結果は、にわかに貧乏世帯の日本政府の歳出八千万円(現在の3,400億円)は、三倍にして二億四千万円(現在の1兆2000億円)の巨額にのぼり、
 小作人の涙を絞る地租増税となり、労働者を苦しむ消費税賦課となり、なかにも塩もしくは米と等しく日用品なる醤油税法案は遠慮もなく国会の議題にのぼり、気楽なる議員諸公はなんの異議もなくこれわ可決したまい、思想の交通を制限する郵便税も可決せられ、かくのごとくにして終わることなければ、後日塩にも米にも税を課する到るやも知るべからず、こわや、これ戦争の結果が社会に与えたる影響の著しきものなり。
 戦争の結果は、政治上影響ありたるのみならず、これに関係する政治家、国会議員などいう連中の公聴に与えたる影響も被る大なり、昨年衆議院の解散せられたる時、弁当代を払わざる議員は五十七名ありと聞けり、議員先生が弁当代を払わざるを異しむなかれ、
 今の政治家という人達は、人民の利益降伏をはかるために、政治界に働くにあらずして、あたかも労働者が賃金を欲して労働に従事するが如く、今の政治家、国会議員は私利をむさぼらんがために、国会議員てふ資格の便宜あるを機として借りに政治家という職業に従事せるのみ、常に政府党は政府案に盲従し、反対党は一もニもなく反対して、その間に議論を闘はすことなく、いつも待合にて協議せらるるを見るも、よくこれを知る得べし、賄賂公行せらるる固より怪しむに足るべからず、賄賂を取りて意見を売らざる小山久之助あり、むしろこの人の如きは今の政治界にては利口にしてしっかりした人なり、今の政治家、議員などいう連中は、とうとう皆意思の薄弱なる小山久之助のみ、ああこれ等しく戦争の結果なり、以前より忌むべき事実多かりしといえども、かくの如く甚しきことなかりしなり。

横山 源之助「内地雑居後之日本」

2016年11月8日火曜日

宗教の名で最悪の事柄がなされる

 この世に存在したすべての宗教が偽りであるという意味になるのであろうか。そうではないのである。なるほどたいていの宗教が、理性的信念に分析されるならば、偽りであることは明白である。そして私はこの世に存在する百万の宗教団体のどれか一つに属する徹頭徹尾正統派的な信仰をもつ人にとっては、この百万から一つを覗いたその他のものが悪しく偽りではないにしても兎も角も偽りであることは心中疑いの余地なく明白であるに相違ないと思うのである。それこそが私たちが明瞭に意識していなければならないことだと私は考える。しかもなお人間が自分の周囲をかこむ道標なき神秘的な人生の領域に対して何らかの関係をもたなければならないという事実は相変わらず残るのである。
 それこそ宗教に残された大いなる事実ではあるが、私たちはそれについて二つの事実を記憶せねばならない。第一に誤りを犯す可能性は大きく、事実ほとんど無限であり、第二に確信した誤りのもたらす結果は極めて恐ろしいものであるということがこれである。おそらく史上を通じてかつて一かどの人々によって大規模にこの世でなされた最悪の事柄は宗教の名においてなされたものであり、そしてその事は現在でも真理たることを全く止めたとは決して思われない。

ギルバァト・マレー「ギリシア宗教発展の五段階」

2016年11月7日月曜日

真の虚言で一気に危険となる

 永楽庚子春、予、命を受けて日本に使す。東海に泛びて馬島に到り、兵余の地を見、残凶の俗に諭す。一岐に危ぶみ、九州に説び、志河を発して、赤間関に入り、唐島を歴て肥厚を過ぎ、我王の所に至る。乃ち国家馬島に行兵するの翌年の春なれば、島倭、朝鮮の兵船の再来を以謂い、中より浮動して守御を罷めず。
 予の帰くや、標語の代官王に報告す。その武衛・管領・外郞等以謂えらく、「吾が御所、朝鮮使臣の来るを知れば、則ち必ず入見せざらん。我が日本は、憔に琉球船を勾留するのみならず、大明に向かいて隙あり。今また朝鮮使臣を入れざれば、則ち甚だ負荷なり」と。我れを引きて通事魏天の家に入接せしめ、然るのちに王に告ぐ。王、人をして我れに言わしめて曰く、「経および礼物は等持寺に入れ置き、官人は出てて深修庵に在れ」と。猜心益ます深く、我れを待すること至って薄し。その終の吉凶、未だ知るべからざるなり。翌日予、深修庵に帰く。俄にして王の送る所の僧恵供・周頌等来たりて曰く。「昨年の夏、朝鮮、大明と同に日本を伐ちしは何ぞや」と。予いわく「此れ真の虚言なり」と。馬島を討罪するの由を歴陳し、力めてこれを弁ず。二僧予の言を聞きて還り、王に説く。王の惑い乃ち解けたり。後十六日、王、我が殿下の書契を見、後に我をして諸寺に遊覧せしめ、また諸寺をして次々に来賓せしむ。我を待すること特に厚し。予の回還に及び、その書契を修し、その礼物を備え、以ってその慕義和好の心を著わす。

宗 希環「老松堂日本行録ー朝鮮使節の見た中世日本ー」

2016年11月6日日曜日

第一成すは下に教えるは上に

 国産考

 国を富ましむる経済は、まず下民を賑はし、而して後に領主の益となるべき事をはかる成るべし。第一成すは下にあり、教ふるは上にありて、定まれる作物の外に余分に得ることを教えさとしめば、一国潤ふべし。
 此教ふるといふは、桑を植ゑ養実の道を教え、あるひは楮を植ゑしむる事ども成。然れども土地に厚薄あり、山川に肥度あり、尚更南北の寒暖異なれば、其の事に委しき人を選び習はざれば、徒に土地と人力を費すのみならず、損毛ありて土地に罪を負はすることあり。是を熟得して行うときは、国富まずと云う事あるべからず。抑点地の造化を助け、無用の地を助けひき、其土地相応の利潤のある良木を植ゑ尚足らざるを補ひなば、年々に富まさりて、五穀あまり、材用を天地の間に満たしむべし。
 都て諸の産物となるべきものを選び植ゑなば、各生ぜずということなければ、下民にありては金銀を閉塞して子孫に譲らんより山野に良材を植ゑ育て譲るることを心がくるは、万金の計算なるべし。或國に貧寺ありて住職すべき僧なきを、旦越の人山をもとめ其寺に寄付し、杉檜を数万本を植ゑけるが、廿年を待たずして追々成長の材木を伐りて買りはひけるが、終に福寺となりて堂塔を修復したることあり。
 是等の事または諸国にて国産を行はせらる々ことありしかど、中途にして廃することを見及ぶこと多し。依りて僕が才の拙きを恥じず、諸国の遊歴から見聞したることども下記つづりて、おこがましくかま題して先に二巻を著す。尚続いて数冊を編纂せんことを念ふ。只一事にても農家の益となるべき見当ともなる事あれば、幸ひ是にしかざるべし。

大蔵 永常「広益国産考」

2016年11月5日土曜日

殉教者は有に死んだ

 殉教者たちはひとつの命を失い、そしてひとつ有を見出したのである。ある師は、有ほどに神と等しいものは他にない、あるものが有を持つ限り、その限りにおいてそのものは神と等しいという。ある師は次のように言う。神である一切がひとつの有であるほどに、有とは純粋にして高きものである、神が認識するのは有より他になく、神の有以外神の有以外の何ものも知ることがない、有こそ神の指輪である、神は有以外愛するすることもなく、神の有以外思惟することもないと。
  わたしは、すべての被造物はひとつの有である、と言う。ある師は、被造物のあるものは、他の被造物に有を付与するほど神に近く、それほど多くの神的光をみずからの内に写し持っているのだと語る。
 これは正しいとはいえない。なぜかといえば、有はきわめて高くきわめて純粋で、神にきわめて似ているので、神が神自身の内に有を付与するときのほかは、いかなるものといえども有を付与することはできないからである。神の最も固有な本質は有である。ある師は、ある被造物が別な被造物に命であれば与えることは十分可能である、と言っている。
 まさにそれゆえにこそ、何であろうともすべてのものは、ただ有においてのみ基礎づけられているのである。有は原初なる名である。不完全なものはすべて有からの脱落である。わたしたちの命の全体はできるならひとつの有でなくてはならない。わたしたちの命がひとつの有であるかぎり、そのかぎりにおいてわたしたちの命は神の内にある。わたしたちの命が有の内に納れられるかぎり、そのかぎりにおいてわたしたちの命は神と似たものとなる。
 ひとつの命とは取るに足らないものでしかないかもしれない。しかし、人が有として命をつかむかぎり、その命は、これまでに命が手に入れたどんなものよりも高貴なものとなる。わたしは次のように確信している。魂が全く取るに足りないものを認識したとしても、それが有を持つならば、魂は一瞬たりといえどけっして二度とそれに背を向けることはないであろう。

マイスター・エックハルト「エックハルト説教集」


2016年11月4日金曜日

独裁を好み民衆を憎む

独裁好み

 独裁好みとは、権力と利益を執拗に求める支配欲であると思われる。
 すなわち、執政官の補佐となって、祭礼の行列をとりしきる人には、どういう人たちを選んだものだろうと民会が審議している場合、彼は進み出てわが見解を述べる。「その人たちは独裁権をもつねのでなくてはならぬ」と。そして、他の人たつが、10人説を提案すると、彼は「一人で十分だ。だがその一人は、すぐれた人物でなくてはならぬ。支配者の数多きは善からず、支配者は一人たるべし。」と語る。だがそれ以外の句は、一つも心得ていない。
 「われわれだけで団結し、もってこの審議にあたらなくてはならぬ。烏合の民衆や広場の者どもから遠ざからねばならなぬ。要職選挙にあたって民衆に尻尾をふり、ときには彼等の侮辱を、ときにはその尊敬をうけたりすることはやめねばならぬ、いやしくも、彼ら民衆か、はた、われわれか、そのどちらかがこの国を治めるべき時であれば」などと。
 さらにまた、気取った風に上衣を肩にかけ、外出し、つぎのような文句を、悲劇の台詞よろしく朗々と口にしながら、誇らしげに闊歩する。「密告者ゆえ、この国には暮らしもならず」とか、「公務につかんと心はやる者たちの望むところ、そもそもいずくに在りや、これ、われのかねてより不審とするところなり」「忘恩の徒輩はこれ民衆、恩をふりまき、与える者の側につねにつく」「憎むべきは民衆の頭目なり」「テセウスは、12国を1つの国に統合し、もって民衆の勢力を増大せしめ、ついには王政も壊滅させて、万事の支配権を民衆の手にゆだねたればなり。されぱ当然の報いを彼はうけたり。彼ら民衆の手にほうむられた最初の者なれば」、と。その他それに類したことを、外国の人たちにも、また人生観、政治観ひとしくする同胞の者たちへも、彼は口にするのである。


テオプラストス「人さまざま」

2016年11月3日木曜日

戦争は工業的な資本主義的な企業

  知識があり、技術敵に教育された労働者要員を増加する要求は、先進的な資本主義国家、とくに最近めざましい発達をとげたところーたとえば北米合衆国とドイツでは、きわめてはっきりと認識されてきた。最近、各国政府は、熟練労働者の要員を十分に多数つくろうと狂奔している。
 これについて政府は、軍国主義の要求にも言及している。べ・エヌ・ミリューコフは『武装した世界と軍縮』という著書の中で近代戦の特徴をのべている。
「戦争は、現在では、ある種の工業的な、資本主義的な企業である。」
「戦争の技術は、新しい発明が現れるごとに絶えず変化している高価な装備を要求する。」
「戦争そのものは、変化の一般的な過程に従ってきた。現代では、軍隊の指導者、武器の発明者と製造者は、普通の知的な職業とはほとんどちがわない生活をしている。勝利は、騎士的な功績によってではなく、計算の正確さと科学性、永年にわたる困難な事前の努力によって決定される。かくして戦争は、以前のロマンチックな魅力を失い、もっとも散文的な職業になった。」
 世界戦争は、もっとも雄弁にこの真理を確認した。戦争は、問題の技術的な面、改良された武器、工業の組織、無数のよく教育された技術陣が、どれほど大きな意義をもっているかを示した。
 そしてこの工業全般、とくに軍事工業が、全面的に教育された知識のある労働者を要求することは、資本主義諸国をして、技術教育の組織、それに関連して学校事業の再組織、即ち、詰め込み学校を労働学校にかえることにまじめな注意を向けさせた。

ナジェージダ・コンスタンチーノヴナ・クループスカヤ「国民教育と民主主義」

2016年11月2日水曜日

迷信から言葉と概念の奴隷

 美学は、本来的な芸術事実に即していえば、極めて制限された適用範囲しかもたないという認識が生まれざるをえないのである。この除痛体は実際的に、芸術史家と美学者との間にみられるところの、蔽うべからざる相互的な反目として、すでに昔から現れているものである。客観的芸術学と美学とは現在においても未来においても和解できない部門である。その材料の大部分を放棄して、美学者の用に適するように仕立てられた芸術史に満足するか、それともあらゆる美学的高識を断念するかどうかのという選択の前に立たされた場合、芸術史家は、いうまでもなく、後者を選択するであろう。対象によって密接に関係している二つの部門はいつまでも相互に触れることなく併行的に研究せられるであろう。
 ところでこのような不和の原因はおそらく単に芸術という言葉の概念に対する迷信にすぎないのである。この迷信に囚われて、我々は種々の減少の多様な意味を一義的な概念に還元しようという、まさに犯罪的な努力のうちへいつも閉じ込められるのである。それにもかかわらず、我々はこの迷信から脱出することができない。吾々はいぜんとして言葉の奴隷であり、概念の奴隷である。原因はどこにあろうとも、即ち芸術的事実の総体は美学の問題提議のうちには現れずして、芸術の歴史と芸術の教理論の二者はむしろ一致することのない、また共通尺度のないものであることは、何れにしても動かし難い事実である。

ヴィルヘルム・ヴォリンゲル「抽象と感情移入ー登用芸術と西洋芸術ー」

2016年11月1日火曜日

誤れる観念が紛糾と混乱を永続する

 我々は、我々の無秩序と混乱との如何にに多くが、我々の社会をこれまで支配した野蛮人とか人々の無秩序と混乱との如何に多くが、我々の社会をこれまで支配した野蛮人とか俗物とかの人の階級・国体の間に存在する、正しき道理すなわち至高最善の自己に対する不信仰によるか、彼等がそれらの中においてただ彼等の日常の自己を主張し表現して永らく我々を支配して来た諸組織の、不可避な衰微と崩壊とによるか、彼等が正しき道理によってではなく彼等のの日常の自己によって建設し今なお支配していると良心に顧みて認めざるを得ない社会が、それの報復者を阻止せむとして激しく動揺するに際した場合の彼等のの優柔不断によるかを見たからであろう。
 しかし、我々ー正しき道理と、我々の最善の自己を解放し向上せしめる義務と可能性と、完全に向かう人類の進歩とを信じる我々ーにとっては社会の組織、この厳粛な劇がその上で展開しなければならないあの劇場は、神聖である。誰がそれを支配しようとも、また如何なる我々が彼等から支配権を奪うことを欲しようとも、なお、彼等が支配している間は、我々はしつかと、一意専心、無政府状態と無秩序とを鎮圧することにおいて彼等を支持する。それは、秩序なかりせば社会は存在し得ず、社会なかりせば人間の完全は有り得ないからである。
 我々の現在の紛糾と混乱との如何ほど多くを我々のうちの大多数の人々の誤れる観念がひき起こして永続させる傾向にあるかを、既に見たのである。それ故、教養の同情者の現在における真の任務は、この誤れる観念を消滅せしめ、正しき道理と、確実な明白な真理とに対する信仰を弘め、人々をとて無私に自由に彼等の思想と意識とを彼等のお定まりの概念や習慣の上に働かすやうにすること、人々をして不完全な知識を以って誠実に行動するよりも、行動するためのより堅実な知識の基礎を得るようにさせることである。

マシュー・アーノルド「教養と無秩序」

2016年10月31日月曜日

歴史は後から作り出される

 我々が現在の事象において未来の歴史家に最も関心を起こさせるものを正しく指摘するためには、都合のいい偶然、例外的な僥倖が必要である。この歴史家が我々の現在を考察する際には、そこにその人の現在の説明、特にその人の現在が含む新しいところの説明が必要である。その新しいところは、もしもそれが創作になるはずだとすれば、それについて我々は今日数々の事実のうちから、記録すべき事実を選ぶために行うというよりも、むしろこの指示に従って現在の事象を切り抜いては様々な事実を作り出すために、その新しさに合わせればいいのか。
 近世の重要な事実は民主政の到来である。その時代の人々が述べたような過去の中に民主政の先端となる徴候を我々が見出すということは疑いをいれない。しかしその時代の人々がこの方向に向かう人類の歩みを知らなかったならば、恐らく最も関心を引く指示を与えなかったであろう。ところでこの方向も他の方向もその時には気づかれずにいたというよりは、むしろまだ実在していなかったのであって、経路そのものによって、つまり民主政を漸次著想し実現した人々の前進運動によって、後から作り出されたのである。
 してみると、先端となる徴候が我々の目に徴候となっているのは。我々が今その経過を知るからであり、その経過が果たされているからである。経過もその方向も、従ってその終点も、それらの事実が行われていた時には与えられてなかったのであるから、これらの事実はまだ徴候ではなかった。

アンリ・ベルグソン「哲学の方法ー思想と動くものⅢー」

2016年10月30日日曜日

兵は凶器なりとも兵法を講じる

 悪の技術はもはや一つとして、この統一せられた平和の社会に、入用なものはないはずであるが、かつて人間の智功が、敵に対して自ら守るために、これを修練した期間があまりにも久しかった故に、余勢が今日に及んで、なお生活興味の一隅を占めているのである。実際に我々の部落が一つの谷ごとに利害を異にした場合には、譎詐陰謀は常に武器と交互して用いられた。友に向かってこれを試みることは、弓・鉄砲以上に危険であったから、射栫も設けられず、同乗も他流試合も無く、「治に居て乱を忘れず」という格言すら、この方面には封じられていたけれども、如何せん別に何らかのその欠点を補充する教育がなかったから、到底安泰を期せられぬような国情が随分久しい間続いていたのである。『韓非子』とか『戦国策』とかマキャベリとかいう書物ばかりが、その役目を勤めたとも限らなかった。けちな人間同士のけつな争闘には、やはり微細な悪計も、習練しておく必要があった。
 悪は現代に入って更に一段の衰微を重ね、節制もなければ限度も知らず、時代との調和などは夢にも考えたことはなく、毒と血との差別をさえ知らぬ者に、まれには悪事の必要不必要を判別させようとしたのだから、この世の中もべら棒に住みにくくなったわけである。兵は凶器なりと称しつつ兵法を講じた人の態度に習い、或いは改めて伝世の技芸を研究し、悲しむべき混乱と零落を防ぐべきではないか。

柳田 国男「不幸なる芸術 」

2016年10月29日土曜日

貧困市民の無知は社会の不正のため

 子供のときに、知識を獲得することが必要であるとよく教えられて来たのだが、生きるがために働かねばならなかったので、この考えはやがて失ってしまい、哀れにも知っていることは、無知なのは自然の意志によるのではなく、社会の不正のためなのだということだけである。
 貧困な市民に対して政府が言うべきことは、これまでは、諸君は親の財産の関係上、わずかに最も必要不可欠の知識を獲得ができたばかりだった。ところが、今や諸君には容易に知識を確保し、発展させる手段が保証されることとなった。諸君にして生まれながらの才能を持ってさえいれば、諸君はこれを発達させることができるだろう。しかも諸君のためにも、また祖国のためにも、これらの才能は決して滅却されることはないであろう。
 かくして教育は普遍的でなければならぬ。すなわちあらゆる市民に普及せられなければならぬ。教育は全く平等に教与されなければならぬが、この平等は必要な経費の範囲においてであり、国内の人口分布状態が許す限りにおいてであり、また多かれ少なけれ、児童が教育のために費すことのできる時間の許される限りにおいてである。教育は、その諸段階を通じて人間知識の全体系を包含しなければならず、全生涯を通じて誰でもこれらの知識を確保し、もしくは新たな知識を獲得し易からしめなければならぬ。
 如何なる政府といえども、新しい真理の発展を妨害し、政府の特殊な政策や一時的な利益に反する理論を教授することを妨害するような権威を持ってはならないし、かかる信頼さえも持ってはならない。

ニコラ・ド・コンドルセ「革命議会における教育計画」

2016年10月28日金曜日

人民の嚢中より皆生じる

 かつ官とは何ぞや、本これ人民のために設けるものにあらずや、今やすなわち官史のために設くるものもの如し、誤れるの甚だしと言うべし、人民出願し及び請求すること有るに方りこれを却下する時はあたかもも過挙有るものを懲すが如く、これを許可する時はあたかも恩恵を与えるものもの如し、何ぞそれ理にみだれの著しきや、彼等元来誰れに頼りて衣食するか、人民より出る租税に頼るにあらずか、すなわち人民の挙養を受けて、もって生活を為しつつ有るにあらずか、およそ官の物金銭の論なく、いちもうといえども天より落つるにあらず地より出るにあらず、皆人民の嚢中より生ぜしあらざるなし、すなわちこれ人民は官史たる者の第一主人や、敬せざるを得可けんや、
 民権これしごく理なり、自由平等これ大義なり、これら理義に反する者は境にこれが罰を受けざる能はず、百の帝国主義有りといえどもこの理義を滅没することは終に得可らず、帝王尊しといえども、この理義を敬重してついにもってその尊を保つを得可し、この理や漢土に在ても孟軻、柳宗元早くこれを観破せり、欧米の専有にあらざるなり、
 王公将相無くして民ある者これに有り、民無くして王公将相ある者未だこれ非ざるなり、この理蓋し深くこれを考え可し、

中江 篤介「一年有半・続一年有半」

2016年10月27日木曜日

戒厳令下では殺人は無罪

 特に上官が目の前でもう一人は殺してしまった。よくある例だ、もし吾々が厭だといったら、吾々が殺されるかも知れぬ、拒むほどの度胸があれば構わず逃げてしまう。誰が好んで人を殺すものか、厭で厭で仕方ないが自分の命、即座の脅迫が怖くて、悪い事罪な事と知りながら、本心ではなく無理にやらされたのだから無罪である、と判決すればよかったのを、ナマジッカ法律ぶって。バカの人真似、鳥の鵜真似でコンナ事に判決したから、今度は被告両名は、平常ならば常識に訴えてもよいが、厳戒令下では如何なる事でも上官の命には従うと思った。
 厳戒令で七歳の幼児でも何を仕出かすか判らなぬと思う。七歳でも男の子なら時には虐殺して差支えないと思う。現に上官がそう言うた。日本人としても、また兵隊の思想や犯行を取締る選ばれたる憲兵としても、戒厳令下では、人を殺す事や幼児を殺す事位、悪いと思う者はいない、これが憲兵の常識である。故に両名は罪となるべき事実即ち悪い事と思う事実、を知らず。正当当然の事と思うて幼児を殺したから無罪である。
 もし両名が、悪い事だが、上官の命令であって見れば、マサカ法律上罪にはならないと思ってヤッタなら、当然刑法三十八状の第三項目によって有罪であるが、クドクも繰り返す通す通り、両人は人を殺す事、特に小児を殺す事は悪事とは思わず遣り、また両名がコンナ事を悪事と思わなかったということは日本人の道徳として、はたまた憲兵の常識または軍隊の精神として当然で深く信用するに足りるから無罪である、と解釈するの止むなきに至ったのだ。実際執行猶予には誰も異議のなかった、二人だから、どうせ無罪にするなら、後世にも残る事だから、意識の喪失か命令服従の一点張りにすれぎよかったに惜しい事をしてくれた。

山崎 今朝「地震・憲兵・火事・巡査」









2016年10月26日水曜日

思惟は戦争概念・原理・原因を基定する

 世界というもののなかへ、全ての感情や意志行為が、それが宿っている身体の場所的規定とそれに織り込まれた可視的構成要素によって組み込まれている。これらの感情または意志行為の中に与えられている全ての価値や目的や善は、世界のなかに配入されている。人間の生活は世界によって包まれている。
 ところで思惟が、経験的意志、経験及び経験科学において体験され与えているような、直感、体験、価値、目的の全内容を表現し、また結合しようと努めるとき、思惟は世界における物の連鎖や変化から去って世界概念へ向かって進み、世界原理へ、世界原因へ基定しつつ遡っていく。
 それは世界の価値、意味及び意義を規定しようと欲し、また世界の目的を問う。この普遍化、全体への排列、基定という方法が、知識がもっている傾向に動かされて、特殊的な要求や限定された関心から離れるその到る所で、思惟は哲学に移っていく。また彼の営みによってこの世界と交渉する主観が、同じ意味おいてみの彼の営みについて省察するようになるときは、この省察はいつでも哲学的である。
 従って、哲学の全ての機能がもっている根本的性質は、一定の、限りある、狭い関心への束縛から抜け出て、制限された要求から生まれたあらゆる理論を、究極的理念に配入しようとする精神の傾向である。この思惟の傾向は、それの法則性に基いている。それは、確実な分析をほとんど許さない人間本性の諸々の欲求に、知識の歓びに、世界に対する人間の立場の究極的な確実性の欲求に、生命がその限定された諸条件へ縛られているのを克服する努力に合致する。一切の心的態度は相対性から免れた確乎たる点を探し求める。

ヴィルヘルム・ディルタイ「哲学の本質」

2016年10月25日火曜日

疑うか信じるかは反省しない解決法

 表面だけしか見ない観察者にとっては、科学の真理は疑いの余地のないものである。科学上の論理は誤ることはないし、学者はときおり思いちがいをすることがあっても、それは論理の規則を見損なったためである。
 少しでも反省したものは、仮説の占める領分が、どんなに広いかとうことに気がついた。そこで、はたしてこれらすべての構築が極めて堅固なものであるかどうかが疑われ、わずかの微風にあっても打倒されてしまうと信ずるようになった。こういうふうに懐疑的になるのは、これもまた表面的な考えである。すべてを疑うか、すべてを信じるかは、二つとも都合のよい解決法である、どちらにしても我々は反省しないですむからである。
 だから簡単に判決をくだしたりしないで、仮説の役割を、念入りに検しらべてみるべきである。そうすれば仮説の役割が必要であるというばかりでなく、たいていの場合に正当であることを認めるであろう。また仮説には多くの種類があって、或る種の仮説は確かめることができるし、ひとたび実験によって確認されれば、多くの結果を生む真理となること、またあるものは我々を誤りにおとし入れたりしないで思考に依り所を与える役にたつこと、もうひとつ第三種としては、見せかけだけが仮説であって、実は定義や規約が粉装をつけたものに過ぎないといことがわかるであろう。

アンリ・ポアンカレ「科学と仮説」

2016年10月24日月曜日

日本主義は日本的ファシズム

 文献学主義は容易に復古主義へ行くことが出来る。復古主義とは、現実の歴史が前方に向かって展開しているのに、之を観念的に逆転し得たものとして解釈する方法の特殊なもので、古典的範疇を用いることによって、現代社会の現実の姿を歪曲して解釈して見せる手段のことだ。そして忘れてならぬ点は、それが結果において社会の進展の忠実な反映になると自ら称するのが常だということである。
 とかく議論はあるにしても、日本主義は日本型の一種のファシズムである。そうみない限り之を国際的な現象の一環として統一的に理解できないし、また日本主義に如何に多くヨーロッパのファシズム哲学が利用されているかという特殊な事実を説明出来なくなる。色々のニュアンスを持った全体主義的社会理論(ゲマンインシャフト・全体国家・等々)は日本主義者が好んで利用するファシズム哲学のメカニズムなのである。だが日本主義者は外来思想のメカニズムによっては決して辻褄の合った合理化を受け取ることは出来ないだろう。唯一の依り処は、国史というものの、それ自身初めから日本主義的である処の「認識」(?)以外にはあるまい(結論を予め仮定にしておくことは最も具合のいい論だ)。処でそのために必要な哲学方法は、ヨーロッパ的全体主義の範疇論や何かではなくて、正に例の文献学主義以外のものではなかったのである。ー併し実は、この文献主義者自身は、もはや決して日本だけ特有なものではなかい、寧ろドイツの最近の代表的な哲学が露骨な文献学主義者なのだが(M・ハイデッガーの如き)。だから日本主義において残るものはね日本主義的国史だけであって、もはや何等の哲学でもない、という結果なるのだ。

戸坂 潤「日本イデオロギー論」

1945(昭和20)年5月に長野刑務所で酷暑と栄養失調で獄死。

2016年10月23日日曜日

習慣は変容を絶えず減じる

 生命は、外面的世界において、孤立して他にたつところなき一世界なのではない、それは自己の存在条件によって外面的世界につながれ、この世界の一般的法則に服している。生命は、絶えず外からの影響を受ける、唯、絶えずこれをうち超え、これにうち克つのである。故に生命は、自己の条件いいかえけば質料なる、存在のより低き形式との関係によって変化を受けるのであるが、また自己の本性そのものなる、より高き能力によって、変化を自ら始めると見られる。生命は受容性と自発性の対立を含んでいる。
 生物が自分以外のものから受取る変化と反復の一般的結果は、この変化がその生物体を破壊するに至らぬ限り、生物体がそれから受ける変容は絶えず減じて行く、ということである。これに反して、生物は、自身から発する変化を繰り返し或は長くつづけたならば、後尚もその変化を生む、そしてそれを再び生む傾向を強めるやうに思はれる。すなわち、外来の変化は生物にとって次第に無縁のものとなり、自ら起こした変化は反復にゆって自らに固有のものとなる。感受性は減じ、自発性は増す。これが、一変化の連続または反復によってあらゆる生物の中に生ずると見える素質即ち習慣の、一般的法則なのである。ところで、生命を形成する自然の特質は、受容性に対する自発性の優越ということであるから、習慣は単に自然を前提にしているのみではない、それは正に自然の進む方向へと発展するのである。同じ方向に力を添えるのである。

フェリックス・ラヴェッソン「習慣論」


2016年10月22日土曜日

戦争は経済没落と知識思想の欠陥

 貧民はその生活に欠陥あると共に、知識思想の上においてもこれに等しき程度をもって、むしろその以上の欠陥を有す、すなわち貧民は経済上の欠乏者たると共に、その思想の上の大欠陥者たり。駿河橋万年町の路次に住めるものにして、手紙を書き得るものとは言わじ、わずかに自己の姓名を帰し得るもの幾人あるべきや、余輩はみぞ等が経済上の欠乏者たるを憐むと共に、思想の欠乏者たるを憐むこと最も切なりとす。

  如何なる時代如何なる社会においても、貧民なきはあらじ、しかも社会の進歩につれて貧民の数増加しゆくが如く、我が国のごときも近年人口の増殖現著なるとともに、到る所の窮迫を訴ふる声聞こゆ、特に日清戦争役以来、物価は騰貴せるのみならず、各種の事業は没退したれば、細民の困難一層を加えたり、識者一考する所なくして可ならんや、しかも富者の贅沢日に増長し、しかして年一年貧民の増加する傾向あるにおいてをや。

 既に工業社会は年々発達を示し、労働者を収むること代うなると共に劣敗者を出すことも多く、かつ当今の我が政府及び国会は細民の消息に注意せず帝にみぞ等を保護せざるのみならず、かえって細民を虐ぐる幾多の祝目を儲えこいおに細民を困窮の地に陥れんとす、この物質社会の進歩はますます生存競争を激しからしめ、経世者たる者注意する所なくして可なるべけんや。

横山 源之助「日本の下層社会」


2016年10月21日金曜日

国家と社会による支配と矛盾

 人が国家を形づくり国民として団結するのは、人類として、個人として、人間として生きるためである。決して国民として生きるためでも何でもない。宗教や文芸、あに独り人を人として生かしむものであろう。人の形づくり、人の工夫する一切が、人を人として生かしむることを唯一の目的とせるものである。
 しからんばいかにして宗教と国家、文芸と国家との相衡突することがあるのかと。曰く、国家と文芸もしくは宗教とはその目的からいえば矛盾撞着すべきものではないが、しかる或る時代において、その時代の人間の生活様式に相応して、形づくられ、工夫せられた制度、思想が既にその時代をすぎたにもかかわらず残存し、而して一方には新たな生活様式に相応すべく、或る制度、思想が起リ、もしくは起らんとしつつある時には、その旧き制度、思想と新しき制度、思想とは衝突する。ここに国家と宗教とが相容れなかったり、国家と文芸とが相悖ったりするのである。
 しかしその衝突するのは決してその本来の目的、その本来の立場が異なっておるがためでなくして、一つの目的を達するため、一つの立場をとるため、一時矛盾撞着するのである。言い換えれば、時代に相応せざる制度、思想を時代に相応するものに改造せんとする努力である。
 しかし思え、実際の我々の生活はいかに今国家というものに支配せられているか、いかに今社会制度によって支配せられているか。もし人生を徹底的に具体的に考えるならば、ぜひともここへ触れて来ねばならぬのである。

石橋湛山 「国家と宗教および文芸」『東洋時論』「文芸 教学」

1911(明治44)年5月号「石橋湛山評論集」


2016年10月20日木曜日

罪は誤れる歴史的把握も作用

 不安は感性が罪性を意味しうる点ににおいて成立している。罪が一体何を意味しているかということについての漠然たる知識も一緒に作用しているのである。それにはさらに、歴史的なるものについて誤れる歴史的把握も一緒に作用しているのであり、その際、急所即ち個体的根源が捨て去られて、個体は無造作に人類ならびに人類の歴史と混同されている。我々は感性が罪性であると言うのではなしに、罪が感性を罪性たらしめると言うのである。さて我々がその後の個体のことを考えるならば、たしかにかかる個体は、そこにおいて感性が罪性を意味しうることが顕わになるところの歴史的環境をもっている。個体それ自身にとっては感性が罪性を意味してはいないにしても、かかる知識が不安を増し加えることになるのである。いまや精神はただに感性に対してのみならず、さらに罪性に対して対立的な関係に立たされることになる。無垢な個体がかかる知識を未だ理解していないことは言うまでもない、なぜならそれはそれが質的に理解せられる場合に始めて理解せられるのだからである。ところでかかる知識はまたもやひとつの新しい可能性なのであり、従って自由ーこれはおのが可能性において自らを感性的なものにたいして関係づけられるのだからーにたいして不安が増し加えられるのである。

セーレン・キルケゴール「不安の概念」




2016年10月19日水曜日

霊魂は善悪のいずれかである

 霊魂の諸運動は、原因としていっさいの身体的運動に先立ち、思想・記憶・願望・希望・恐怖のごときがすなわち霊魂の諸運動である。自然学の対象たるいっさいの運動すなわち直動・回転・収縮・膨張およびその他の運動は霊魂の諸運動に依存する。在来の哲学者たちによってなされた大なる誤謬はかかる自然的運動をそれ以上説明を要しないものと考えたことである。この点において彼らは自然の背後には意図も理性も存在しないと主張する妄説に道をひらいた。さて霊魂は善悪そのいずれかである。善なる霊魂は、まさにその善に比例して、秩序ある定まれる運動、すなわち天体の運動はきわめて一定で秩序がある。その帰結として、いっさいの霊魂のうち最高なるものは完全に善なる霊魂でなければならない。しかし、無秩序なる運動も存するがゆえに、これが唯一の霊魂ではありえない、すくなくともひとつよりおおく霊魂がなければこの秩序の錯乱は説明されない。しかしひとつまたはそれ以上の無秩序の霊魂はあきらかに劣っており隷属的である。
 かくのごときが神の存在についてのプラトンの論証である。この論証は、もとよりたしかに一神論を唱えるものではない。もっともプラトンその人がひつとなる神を信じていた疑いえないが。じつのところ、これは当時の教養あるアテナイ人のすべての信じているところであった。

ジョン・バーネット「プラトン哲学」